昨日の読売に、今時の大学生の頭の程度に関する記事が出ていました。特に驚くような内容ではありませんが、一流高校から、一流大学・大学院、そして、一流企業に就職している人々には生涯関わることの無い無縁の世界の事で、驚愕の事実かもしれないのでご紹介しておきましょう。更には、20代、30代の犯罪がなぜこんなに多く報道されているのか。その根底にある「食えない」問題、その原因であろうと思われる産業構造・労働市場構造の変質の問題が見えてくるかも知れません。
「分数のできない大学生」が京大教授によって書かれたのは既に遠い昔の事です。いまや、分数どころではなく、九九ができない大学生、引き算のできない大学生、英語のアルファベット(A~Z)を知らない大学生の時代です。当然の帰結として、大文字・小文字、筆記体、活字体の4種、100を超す英字など書けるはずもありません。
日本語も話はしますが、文章は書けません。何しろ、生まれてこのかた、高品位の文章を読んだ事がないのですから。で、本を読みなさいと言ってみても一向に読みません。せめて新聞を読みなさいと言っても無駄です。ここが、偏差値70以上の人々が、この別世界の「解釈を誤る」典型例になっています。彼等は、無精や怠け者で本をたまたま読まないだけではないのです。もっと深刻な問題があるのです。読まないのではなく、読もうにも、読めないと言う。
なぜなら、新聞、本、そこに書いてある漢字やカタカナ語は殆どが彼等には意味不明なのですから、ちょうど、貴方がスワヒリ語の文章を読まされているのと同じで、本気で読もうとした途端、辞書を座右に置いて読むことになります。例えば、広辞苑を引いても、その説明がまた分かりません。説明の中にある単語を、更に引くことになり、いつしか、広辞苑の中だけで閉じてしまった検索が始まり、元々の新聞も、書籍もどこかに行ってしまいます。高校時代に英語の先生に英和じゃなく、英英辞書を引けと言われて、大いに苦労した挙句、効率が悪いので止めたようなものです。
尤も、彼らにそれでもやる根気と集中力と気力と「努力する能力」があるのなら、大学生になってからこんな事をする事態にはなっていないので、元々、不可能問題であったという事になるのです。
多分、こんなことになると考えられます:
「スイスは永世中立国である」
「スイス」が国名であることは分かるかも知れません。しかし、地球儀上でどこにあるかは分かりません。国民の民族、国の面積、人口、国語、首都など、いかなる属性も知らないでしょう。「永世中立国」なんてまるで分かりません。「永世」と「中立」と「国」に分けてやっても、きっと「国」くらいしかわからないでしょう。
スイスが国である事を知らなくても「永世中立国」から、国名であると推論できると偏差値70の方は思いますが、彼等にはできません。ご自分で説明を試みてください。
この大学は、大学課程の中で中学の「This is a pen.」を教えてしまうという間違いを犯したので、文科省から叱られてしまったのでしょう。そこで、大抵の底辺大学は「リメディアル・センター」をもっています。リメディアルとは治療的という意味です。頭の治療。学修の治療。大学生に中学・高校の授業を大学課程とは別途の時間で行う大学の附置センターのことです。実際には小学校高学年の学習まで戻っているでしょう。
なんと、リメディアル学会なる立派な学会まで存在します。それほどに、大学が劣化しているということです。というより、もう、このような大学を旧帝大などと味噌糞一緒にして大学と呼ばない方が良いのかもしれませんが、なぜか、文科省は大学や大学院の多い事が一国の教育レベルが高いことだと勘違いしているので、おかしな事態になっているのです。
偏差値50以下の大学の実態を、偏差値70以上の目線で解釈すると、全く間違えます。上の記事でも「中学で習う英語を”忘れた”」と理解していますが(”で囲んでいるので皮肉でしょうけど)、そうではありません。元々、覚えていないのです。覚える気力も、記憶力もない。理解できる能力がないので、彼等には、「xzplrh bhdq siaz dw ptyvm zcxls」の様な意味不明の文字列として見えているので、覚えられないのです。これは、偏差値70以上の人々には理解しかねるでしょうが、事実なのです。
そもそも、「文法」などの高度な抽象化事象は理解--といいますか、受容と言った方が良いかもしれませんが--などできるものではありません。「動詞」など聞いた事も(あるはずですが)ないでしょう。おまけに「be」。どうして、それが「is」や「am」と同じなのか?違うでしょ。「be = is」?これが正しいと思っている人は、頭がおかしいんじゃないですか。どう字形をみても、違います。まして況や、「are」などは字数まで違っています。これが正しい解釈です。
そうでないと認識するには、上位概念と下位概念、あるいは、集合とその要素、classとinstance、つまりは、「=」「∈」「⊂」の違いなど、こういう抽象概念を受容できる能力が必要なのです。これを無意識のうちに出来てしまっている人は、できない人が理解できないのです。偏差値70の人にとっても、「白馬は馬に非ず」の詭弁を論破するのは意外に難しいのです。彼等にとっては、このような事であると思って下さい。そんなの簡単だよと言う偏差値75の人には、「アキレスとカメ」のパラドクスを論破する問題を差し上げましょう。まだ簡単だと言う80以上の方は「ゲーデルの不完全性定理」を理解できるか試してみてください。
そういえば、文科省が「π=3.14ではなく、3で良い」としたことがありますが(今も?文科省にしては秀逸な対応でした。ただ、どこのレベルを対象に政策を組んでいるのか、これがブレているので訳が分からなくなります)、最初、人間なら3、1、4の三桁の数字程度覚えられるでしょう。なぜ、覚えられないのだろうと不思議でした。100回も繰り返し声に出して言わせれば覚えるでしょう、と。勿論、ユトリ教育下では教師に時間的ユトリがないので、そんな悠長な事はやっていられないのでしょうが(こんなことも予測できていない文科官僚はひょとしたら、偏差値50以下?)。
で、ふと、気が付いたのです。そうか、問題は「小数点」なんだ、と。これも別世界の「解釈」を間違えた例です。こういう抽象概念は、偏差値50以下の頭では理解不能なので、小数点があると、それを計算結果のどこに置いたら良いか分からなくなるのです。それで、πは整数値でなければならなくなったのでしょう。分数が理解できないとは、実はそれ以前に小数が理解できていないことの延長だったのかも知れません。偏差値70以上の頭では、まさか小数が理解できないということなど思いもよらなかったのでしょうか。
小数が理解できないので、当然、より抽象度が高い負の数字というのは彼らにとっては意味不明です。そんなものは、生まれてこのかた一度も使ったことはありません。現実性のない抽象概念など理解などとは無関係の世界の事なのです。-3+2って、何???となるのです。「-」とは前の数から後ろの数を引く「操作」でしょ(などと言う高度な認識などはありません)、前に数がないのに、どうやって引くの?という事で、何が何なのか分からなくなります。2-3は一応計算の対象になりますが、勿論、彼等には計算不能問題です。2から3は引けません。引けるのは2までです。そうでしょ。一円玉を2枚、机の上において、1枚あるいは2枚を取り去ることはできますし、理解できます。でも、2枚しかないのにどうやって3枚を取り去るのか?そんなことはできるわけがないでしょ。至極真っ当な発想です。でも、ここで頭脳の発達がとまっているのでしょ。そうなると、代数は鬼門です。
x+1=3は、彼等にとっては計算不能の「文字」を含んでいるので、何のことかわかりません(下に、彼等の解釈で計算できる場合を記しておきました)。「xを求めよ」と言われても、この言葉の意味自体が不明なのです。虚心坦懐に考えて見てください。「xを求めよ」?どういう意味なんでしょうか?こんな「代数」の「専門用語」は尋常なものではありませんよ。分かる方が尋常ではない人々なのです。
ですから、教え方が悪いとか、そういうことでなく、偏差値50以下の脳には理解する能力が元々ないのです。何の事か皆目わからない。β線形文字を見ているようなものでしょう。ここで、偏差値70以上の人の犯す過ちは、「教え方が悪い」です。そうではありません。いくら説明しても脳に抽象概念の受容能力が無いので無理なのです。事故で右手を失った人に、右手で箸を持てと言えない事は誰でも分かります。抽象能力を持たない脳に抽象的事象を理解できない事が、なぜか偏差値70以上の人には理解できないのです。正確に表現すると、言葉としては理解しているつもりにはなるようです。しかし、現実にそのような場面に遭遇すると、彼等は感動に震え、驚愕に慄き、「本当なんだ」と大声を発するのです。
3+2x4 でしたら、3と2を足すと5になる、それに4を掛けると、その位の九九なら覚えている!20だ、と、間違ってはいても、一応、数字なので計算できるのです。勿論、掛け算が足し算に先行するなんて日常生活に関係の無い規則は小学校時代に聞いた事さえ忘れています。こんなことは一度聞いたら忘れようがないと偏差値70以上の人は思うのでしょうが、彼らの記憶力はそのようには出来ていないという事を理解できていない事から来る誤謬です。それにしても、xなどという文字がどうして計算の対象になるのか??大変哲学的命題を含む難しい問題になるのでしょう。
ただ、知人の大学の先生に注意されました。xなんかにするからいけないのです、と。
□+1=3としてやれば、具体的なので、□の中に「2」と入れることができるのですよ、と。そうなのです。これは小学校で教えています。そういえば、それもできない同級生がいたなあ。どこの大学生になったんだろう。
お待たせしました。彼らが文字の計算ができる例です。3x-xは、さて、偏差値70の方々、彼等はどのように計算すると思いますか?これは簡単です。
3x-x = 3
です。いいえ、簡単ではないかもしれません。偏差値70以上の方々が、この解答を思いつく事は皆無ではないでしょうか。どんなに考えても思いもよりません。難しい問題でした。
これも解釈を間違えている人々は教え方が悪いのだと思うでしょう。3Xの意味が分かっていないのだろうと。その通りです。ならば、3Xとは3×X。つまり、x+x+xの事だと教えればいいではないかと。それは、まだこの別世界が分かっていない人のいう事です。言いましたね、xなどは、そもそも足せないのです。数じゃないものがなぜ足し算できるのかと、彼等は別にそんなに明確に問題点が分かっていずに(それが分かる人はこうはなりません)、漠然と何が何だかわからないのです。何が分からないかが分からないのです。
それはおかしい、3x-xは、x+x+x-xなんだから、その位の計算はできるだろうと、まだ思っている人は抽象化できる脳を持っていないのです。2746x-193xとなると、上の方法で計算するには「指が足りない」のですよ。
仮にこのような方法でxが求まるようになったとしても、式と解法が直に結びついているだけで、xの意味が理解できているとは限りません。文章題から方程式が自在に作れるようになれば大丈夫でしょう。
「山田さんの年齢に3を足して5倍したところ、50になりました。山田さんの年齢を求める方程式を作りなさい。」これができないのです。
人間の頭は8歳頃に抽象概念を、理解できる者は理解するようになり、そこでできないと、付随して、想像力がない、集中力がない、持続力がない、注意力がない、思考力がない、記憶力がない、好奇心がない状況になります。能力と一口に言いますが、こういう力がないのです。文科省でしたか、経産省・経団連でしたかが、「学力」以前に「人間力」がない事が問題であるとしたことがありますが、実は同じ原因から来ているのです。
ですから、なかなかリメディアルは難しいらしいのです。リメディアルセンターを作っても、実は役にたっておらず、本質的な解決になっていないのではないでしょうか。
こんな話も聞いた事があります。
直角三角形の面積の求め方です。
これに補助線を書いて、次のようにします。
長方形の面積の求め方はなんとか覚えているとしましょう(この前提も怪しげです)。そうすると、問題の三角形は、長方形の面積の半分なので、
底辺x高さ/2
と、例の理解不能の分数が入る大変難しい公式で求めることができました。30分掛けてこれを説明しました。わかったかいと聞くと、分かったと答えます。そう、分かっただろうとこの教師は自分の理路整然とした教え方に満足した事でしょう。こんな簡単な事が、このうまい説明で分からないはずはないんだ、と。で、次の問題を出しました。下の直角三角形の面積を求めなさい。
できなかったそうです。
彼の頭の中では、向きが違うので違う図形に見えているのでしょう。三角形という抽象的に同一な存在とは理解できていないのです。
考えてみればそうでしょう。そもそも面積って何なんでしょうか。長方形と同じ面積の三角形だってあるのです。おかしいじゃありませんか?長さなら、10cmのひもと15cmのひもは並べて直感的に比較できます。どちらが長いかは明らかです。しかし、同じ16平方cmの面積の長方形と三角形って、並べても面積が同じかどうかなんて分かりません。面積は長さのようには直感的ではなく、単なる抽象的定義としか思えないので理解できないのです。
この例を見ても分かるように、抽象概念を図示し、可視化すれば理解できると考えるのは幻想にすぎません。彼らの目にどのように映っているかは、推し量り様が無いのですが、少なくとも偏差値70以上の脳に映っているものとは違うことが分かります。網膜に映る像は恐らく人間も犬猫も(色は違うかもしれませんが)同じではないでしょうか。問題はその像が脳で処理されるかというと、偏差値50以下の脳では、されていないらしいのです。ですから、図を見せて説明するのは大変危険なことで、説明者の脳に映って、解釈されているものと、偏差値50以下の学生の脳に映っているものは違うと思って説明しなければないません。網膜上の原図は同じでも、その先の処理ができていないので、図の意味付けも当然の事ながらできていません。意味が付くということは図に表象されている抽象概念が理解できているということですが、それが出来ないので、図で可視化しても理解の役には立たないのです。彼等は、見たままを解決方法と直接に結合するのであって、抽象化しません。同じ図形で底辺や高さの数値を変える問題はできますが、向きを変えたり、形を変えてはだめなのです。従って、抽象的問題を比喩で具体化して説明すると、比喩そのもので理解し、元の問題は忘れ去られます。これは偏差値70以上の人が別世界の解釈を間違える陥りやすい罠なのです。
もう一つ、解釈の罠をおみせしましょう。偏差値50以下の学生に「分からない所があれば聞きなさい」ということも危険なのです。彼らにとっては、この世はすべて分からないこと、知らないことで成り立っています。従って、分からないのは常態ですから、それに対する感受性がないといいますか、免疫があるといいますか、分からないことに何も感じないのです。つまり、「分からないことが、分からない」ので、質問はできません。10に1つ位分からない場合、注意信号が点灯し「どこそこが分かりません」と質問できますが、すべて分からない場合、そのまま頭の中を通り過ぎるだけですから、赤信号も点灯せず、当然ながら質問もありません。
これが今の偏差値50以下の大学の学生の実態でしょう。
いうまでもなく、f(x) sin cos tan log dy/dx ∫ f(x) dx などは教育の埒外です*。こんな抽象概念の権化のようなものを理解させるのは不可能問題なのです。高校の先生も諦めていて、わからないまま単位を与えて卒業させてしまいます。大学は、高校でやってきた事として目を瞑って授業するのでしょう。分からない学生はリメディアルセンターへ行かせることにして。そのようなわけで、多くの大学では、本来大学課程の、偏微分、重積分などは、そもそも教えていないのではないでしょうか。
*: これが偏差値50をはるかに超えるはずの早稲田大学だとは信じられないことですが、こんなブログの記事があります:
「早稲田の理系がここまで低いレベルなのは、私立ならではの教授の数が少ないことに加え、附属高校から上がってくるボンクラ学生がいることもある。もちろん附属から来た学生がみんなひどいわけではないが、スクリーニングされていないので下限がない。
私が在籍していた研究室には、三角関数のsinを理解していない大学4年生がいた。彼はまともに実験もできなかったが、やはりコピペにより卒業していった。」 -- http://anond.hatelabo.jp/20140314233406 2014.3.16追加
読売新聞より
AO入試とは、おかしな名前です。Admission Office入試。どういう意味でしょうか。普通、入試は学部単位で行いますが、学部ではなく、事務である入試課が行うというのが原義なのでしょうか?wikiでも見てください。
現在の大方の大学では、無試験、志望動機を聞く程度の簡単な面接で入学許可し学生を確保する方法になっています。ですから、記事でも言っているように、All Ok。志願者全員合格という意味になるのです。後記する参考ブログに書かれていますが、精神障害、知能障害などもOKです。少子化で50%(一学部でも割れている場合、80%)の私大が定員割れを起こしている状況ですから、これは有難い方法なのでしょう。
http://www.asahi.com/edu/articles/TKY201304110535.html
「・・・この入試を担当した福島一政・元理事によると、この方法を採り入れたこ
とで、キャンパスの雰囲気まで一変した。以前は、金髪、ピアス姿の学生たちが目立ち、喫煙所でも、わざと灰皿の外にたばこを捨てる。中退率は約3割。「親と高校に薦められるままに入学し、『何で通っているのか』と、目がよどんでいる学生が多かった」と福島さんは振り返る。」
過去形で書かれていますが、これは現在進行形です。問題は、彼らが、最終学歴:大学卒となってしまった途端に、大学卒としての能力を企業から要求されるということです。その結果、卒業生の6割しか正規社員として就職できず(文科省統計では、分母は「就職の意志ある学生数」で、「卒業生数」ではありません)、しかも入学時から卒業までに3割が脱落しているので、就職者数/大学入学者数は、4割程度になっている可能性があり、その上、「大学卒の(正規社員の)3割以上が3年以内に辞める」事態に陥っています。一体、大学卒業3年後以降、大学進学者の何割が正社員として残っていることか?だからと言って、高卒で就職しようにも、高卒労働市場が極端に縮小してしまっていて、就職できないのです。仕方ないので大学にモラトリアムとして逃避することになります。
肉体労働は機械化されてしまったので、機械化できにくいサービス業の非正規雇用以外は、頭脳労働しか残されていないという、日本の労働市場の構造的問題と深く関わっているのです。
労働市場に関しては下記「ちきりん」さんのブログが興味深いですよ。
参考ブログ:
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080803
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090714
大学就職率
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3165.html
危ない大学の特徴(以下のブログはEUCで書かれているので、Shift-JISで読むと字化けがおきます。EUCに設定してください)
・理工系学科でも簡単な分数の計算ができない学生がいる。
・当然専門的な授業なんてできない。
・学生の1割は先天的精神薄弱者か、あるいは精神発達遅滞を引き起こす障害をもっている。
・3割程度の学生はヤンキー。
・1割程度の学生はヒッキー。
・授業中の私語、教室内徘徊、ケンカ、携帯電話使用、飲食がひどい。
・それを注意すると逆切れされる。
・さらに注意すると殴られて教員がケガをする。
・殴られたので仕方なく自己防御のために反撃すると親が出てきて教員がクビになる。
・出席不足、レポート未提出、試験欠席、呼び出しても出頭しない。
・携帯に連絡したりアパート、実家に電話したりしてやっと出頭させても課題をやらない。しかし「単位くれ」とは言う。
・どうしようもないので不可にしたらお礼参りされたり、研究室に火をつけられたりする。
・試験もカンニングし放題。摘発したら他の教員全員に「見ないふりをするように」と諭される。
・学生が学内学外で犯罪を何度も起こす。
・実験機材、パソコン周辺機器などがどんどん学生に盗まれる。
http://www.geocities.jp/ryannmaryu16/dqn.html より 抜粋引用
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大学教員公募についてのメモ
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