続・今時の大学生の頭の程度

 昨夜(2/16)のNHKニュースで大阪工業大学の准教授がゼミの「生徒」にナイフで刺された(全治2カ月)と報道されていました。何年か前、中央大学の准教授(ゼミ担当時代)も教え子にナイフで刺されて「殉職」しています。今や、冗談ではなく大学教員である事は命がけのようです。原因は簡単で、この程度の大学は、最高レベルの知性と最低の人間性が濃密に交わってしまう場であると言う、他にはあり得ない世界だからです。

 参考ブログの再掲:「偏差値45未満の大学は(教員採用の)応募を避けたほうが無難でしょう。たとえ職に困っていたとしても偏差値42未満の大学に応募するのは危険と思われます。」

   http://www.geocities.jp/ryannmaryu16/

 この2日前に、「今時の大学生の頭の程度」について書いたばかりです。その中に「学生の1割は先天的精神薄弱者か、あるいは精神発達遅滞を引き起こす障害をもっている。(出来が悪くて)どうしようもないので不可にしたらお礼参りされたり、研究室に火をつけられたりする。学生が学内学外で犯罪を何度も起こす。」という話題を引用しておきましたが、「研究室に放火」は誇張ではないかと思ってしまいますが、殺人まで起きるのですから、そうではないことが分かります。間違いなく、実話なのでしょう。

 これらの教員は文科省の場当たり的政策の犠牲者と言っていいでしょう。小・中・高の基礎的教育を真面目に見直す事もせず、大学を無闇に増やしてしまった結果、大学の理事会は生き残りを掛けて高校生獲得のために恥も外聞もない経営を行う。学力審査もなにもせず、頭脳に障害があろうとどうであろうと授業料を払いさえすれば入学させてしまう。准教授くらいの、まだ潔癖さを持つ年齢の場合、何割かの教員はまじめに彼等に大学課程の教育をしようとする。しかし、学力がないのはまだ仕方ないとしても、人間性がヤクザとかわらないという問題があって(出席不足、レポート未提出、試験欠席、呼び出しても出頭しない。携帯に連絡したりアパート、実家に電話したりしてやっと出頭させても課題をやらない。しかし「単位くれ」とは言う。どうしようもないので不可にしたらお礼参りされたり、研究室に火をつけられたりする)、まじめさの片鱗もなく、とても単位を出せる状況にない。このような環境から准教授が被害を受ける事態に陥っているのです。

 偏に文部官僚の不明に起因しているのです。

 底辺大学がなぜ減らないのか?大学は、「美味しい」事業だからです。文科省からの補助金がくる。何年か前、大学への補助金で自分の私邸を改築した私大理事長が札幌にいました。

浅井学園事件:http://60950771.at.webry.info/200604/article_3.html

 大学は一度つくれば、「学生の利益の為」という大義名分でなかなか潰せない。群馬のあの酷い創造学園大学をやっと潰せたのも、理事長が詐欺罪容疑で逮捕されたからでしょう。成績が悪くても、学生支援機構から奨学金がもらえる。学生支援機構は予算拡大のために絶対に規模縮小はしない。{原資は税金なので貸した金がデフォールトになろうとどうなろうと知ったことではない。企業と違って破産しないので身分は安泰である。文科省の大切な天下り機関でしょうから、文科省も無言の応援をする。}奨学生の資格認定は学生支援機構ではなく、当のその大学に任されている。これはコソ泥に家の鍵を預けるようなものです。大学は授業料が欲しいので到底就職できるとは思えない学生にも「学生の利益の為」という殺し文句で資格を与えてしまう。場合によっては、この奨学金は当の学生の家族の食い扶持になり、授業料が滞った段階で退学していく結果、未返還奨学金として焦げ付く。莫大な量の焦げ付きが起こっているのは、就職できそうもない学生にまで貸与しているからです。{しかし、そうしないと機構の規模縮小となり天下り規模も縮小するので絶対に減らせない。}機構は滞納者には差し押さえをするとポーズはつけましたが、さてどうなっていることでしょう。とても文明社会とは思えない、中国かロシアか北朝鮮かという状態に日本の教育界はなっているのです。

註:{}内はDRの想像ですが、実態を見れば明らかでしょう。

 

 奨学金が学生の家族の生活費に流用されている事例があるのは周知の事実です。もっと極端な例として、入学金が払えない親が、入学させてくれれば入学金を払うので入学させてほしいと大学に泣きつくケースがあります。入学さえすれば奨学金が出るのでそれで払うというのだそうです。しかし、実体は学生は大学には来ず、奨学金は1年程度はああだこうだといいつつ(前学期は成績が出ていないので支払停止判断ができない。後学期は、今はバイトが忙しい。来年はまじめにやる、など)もらう事ができてしまうので、その間、一家の生活費に消えていく可能性が大なのです。ここまでする大学があるかどうかは闇の中の事で分かりません。

 なお、NHKのアナウンサーは「ゼミの生徒」と言っていました。オー、ブルータスお前もか!天下のNHKのアナウンサーが「学生」と「生徒」の区別を知らないのです。最近、あちこちでこの間違いを耳にします。ドラマ「ガリレオ」でも、湯川学准教授だったか、ゼミの学生自身だったかが「学生」を「生徒」と呼んでいます。つまり、この作家の出身大学はそうだったのでしょう。尤も、実態には合っているかも知れません。生徒というのは、中学生と高校生の事なのですから。しかしながら、それを言うなら偏差値50以下の多くの学生は、児童と呼ぶべきかもしれないのです。言うまでもなく小学生の呼称です。

  このような「今時の大学生の頭の程度」問題を解決するのは極めて簡単です。大学入試センター試験を大学入学資格試験にすれば良いのです。これですべての問題が解決します。大学をモラトリアム期間にする高校生はいなくなるでしょう。大学に行くための最低レベルが担保されるので、大学に進む気のある子供は小学校からきちんと勉強するようになるでしょう。進学希望者はすべてこの試験を受けないといけなくなる結果、センター試験受験者は増加し、センターは規模拡張となり天下りのポジションも増えます。良い事だらけです。