株式投資の非勧め2

 面白い本をご紹介しましょう。

「外為市場血風録」小口幸伸著 集英社新書 ISBN4-08-720177-5

 この本は株式ではありませんが、似たような取引である為替取引の現場で何十年も働いてきたプロフェッショナルの記録です。その臨場感に息をつめて読むような場面が随所にあります。「上がると思って株を買った途端に下がる。下がると思って売った途端に上がる」経験をした方は必読です。為替と株は異なりますが、売買の心理は似たようなものです。

引用として許される範囲でご紹介しましょう。

相場に嘲られ続けた日

  別にこれと言って大きなニュースや材料が出そうにもない日だった。私は二・六八二〇(マルク=1ドル。以下同じ)でドルマルクを二〇〇〇万ドル買った。米国のマネーサプライの数字が増えているし、西独の貿易赤字も増加の見込みがある中で、アジア市場ではドルマルクが上昇すると思ったからだ。しかし、私が買った二・六八二〇はドルの高値でその後下がり始め、アジア市場では二・六七〇〇まで下げた。シンガポールや香港勢が、前日の海外市場で買ったドルの利食いやら損切りでポジション整理にかかったようだ。

 ・・・結局アジア市場では二・六八二〇をドルを高値に、二・六七〇〇まで落ちた。

 

 私はポジション整理のためのドル売りがロンドン市場に入っても続くと読み、・・・

二〇〇〇万ドルの売り持ちポジションを作るために合計四〇〇〇万ドルを売った。・・・

 しかし、私の読みとは逆に、ロンドン勢が市場に参加してくるとドルは強含みに推移した。

・・・私は、やはりドル高の相場なのだ、自分の最初の考えが正しかったのだと思った。アジアの動きに惑わされた自分を後悔した。このまま引き下がるわけにはいかない。再び倍返しをした。四〇〇〇万ドルを買って二〇〇〇万ドルの買い持ちポジションに戻った。・・・

 ところが、相場はそれ以上行かず、・・・再び二・六七〇〇まで下落してきた。・・・

 二・六七〇〇で案の定まとまったドル買いが入った模様で、相場は戻し始めたので、私は少しほっとした。しかし、このまま終わったら三〇〇〇万か四〇〇〇万円の損が出るだろうと思うと、何とかしなくてはという気持ちが強くなった。相場は二・六七二五までは戻したが、その後は弱含みで下げ始めた。二・六七〇〇を切るとドルは再度急落しそうだと感じた。

 二・六七〇〇を切ったので私は四〇〇〇万ドル売った。・・・

 私が二・六六九〇で売ったのをまっていたかのように、その直後からドルは上昇を始めた。そのときの私の顔は、真っ赤になっていたか、蒼白になっていたか。ニューヨーク市場は既に始まっていた。ドルマルクは二・六七五〇を簡単に超えた。もう私にポジションを張る力は残っていなかった。代わりに後悔と恥ずかしさと怒りと疲労が五〇〇〇万円以上の損失とともに残った。

 ・・・

翌日のロイター電には「ニューヨーク市場でドルの急騰」の見出しが記されていた。ドルマルクはニューヨーク市場で二・七〇台に急騰していた。

   ・・・

 

市場が消えた!

 米銀Cがドルを売ってくると予測して、その時点の市場の値よりも少しドルを安く建値した。・・・相手は案の上ドルを売ってきた。取引が成立した、その瞬間だった。ロイターのニュースのヘッドラインが画面の下に点滅した。・・・

<米国訪問中の竹下蔵相は一ドル=一九〇円でも問題はないと語った>

 市場が消えた。米銀Cがドルを売ってきたらすぐにそのドルを市場で売るつもりで、ブローカーや他の銀行に値を求めたが誰も応じない。誰も為替レートの建値をしない。私は二〇〇・九〇で二〇〇〇万ドルを買ったままだ。・・・

 市場ではしばらく取引がまったく成立しなかった。その間、私や私の仲間たちはひっきりなしに、本邦はもちろん香港やシンガポールのあらゆる銀行にドル円の値を求めた。応答なし。・・・市場ではドル円が一体いくらで取引されるのか見当がつかないからだ。

・・・

結局、私はすぐに損切りしてポジションを諦めた。・・・この局面ではわずか一〇分足らずの間にドルは一九八・〇〇まで下落した。合計で約四五〇〇万円の損失を一瞬に被った。」

相場に嘲られ続けた日」には、最初の予想を、市場に翻弄されて次々と変えてしまった心理が描かれています。「動かざること山の如く」と、「疾きこと風の如く」の間に潜む人間心理の問題にどのように折り合いをつけるかという困難な問題です。この折り合いをうまくつけることができる人しか投資はしない方が良いようです。

市場が消えた!」には、不可抗力による事故が描かれています。市場は世界の状況に極めて敏感です。ディーラー達は、損をするんじゃないかと常にビクビクとしながら取引しているためです。ウクライナへロシア軍が侵入した時、日経平均は暴落しました。事故による急変にどう対処できるか。株式市場や為替市場は適切な判断力と、冷静に対処できる胆力がある人だけが参加できる市場なのです。

 

ブラックマンデーの裏で

 市場ではG7協調体制の崩壊を懸念する声が広がった。一方で、この年(八七年)に起こった米国とイランの紛争は中東諸国を巻き込み、原油価格の上昇となって世界の経済に打撃を与えていた。

 こうした環境で、私はドルが大きく下落すると見てドル売りのポジションを広げた

・・・

 ニューヨーク市場ではダウが一〇八ドル下がった。史上最大の下げ幅で、箱根に向かう[社内慰安旅行の]バスの中はこの話題でもちきりだった。・・・

 週明け月曜の東京では、ドル円が一時一四〇円まで下落した。私は自分の見方と売り持ちポジションに自信を深めた。この調子が続き、ニューヨークでダウがもう一段下がれば、ドル離れはいっそう進むと確信した。ニューヨークでは前週記録した史上最大の下げ幅のなんと五倍近い下げを記録した。大暴落だ。ブラックマンデーだ。

 ・・・

 しかし、ドルは思ったほど売られなかった。むしろドル買いの強さが目立った私はおかしいと思った。・・・

私の銀行のディーリングルームに、盛んにドル円の値を求めてくる聞きなれない銀行の名前が響き始めた。・・・普段はほとんど取引のないところばかり。それも皆ドル買いだ何が起こっているのかわからなかった。ドル円は一四一円台まで上昇した。

 私はドルの売り持ちポジションを維持することに耐えられず、ドルを買い戻した。結局通算で少しロスを出した。大きく利益を上げられる局面だと確信していただけに非常に失望した。一億円ぐらいは儲かったかもしれないのに、儲けるどころか損を出してしまった。ポジションを切ったときも、なぜドルが上がるのか理由はわからなかった

 理由がわからない相場で自分が不利に動くときほど、不気味で怖いことはない。こういうときは損切りが難しい。なぜ相場が不利に動くのかわからないから、ついポジションを持ち続けてしまう。そして大損する羽目になる。・・・

 ドルが上昇した理由は、後で実際にドルを買った海外の顧客から聞いて判明した。彼らが投資していた米国株に大きな損失が発生したので、分散投資をしている手持ちの日本株や債権を売って[円を得て、それをドルに替え*]米株の損失の補填に当てたというのだ。この話を聞いて初めて、その日の日本株の下落もドル買い円売りも私には理解できた。」

  *: [ ]内はDRの注釈

 良くマスコミでは、ダウが下がったので日経平均もつれて下がった円高を嫌気して日経平均が下がったなどという、連鎖反応を思わせる言い方をしますが、実はそうでないことが多いのです。「心理的に連れた連鎖反応」ではなく、同時に起きているのです。同じ原因で起きていることの表裏にすぎないのです。その一つの事例が上記で活写されています。

 そして、為替と株価のこの連動性は、常識的な考えによる動きと反対の動きを見せることがあり、「世界で何が起きているのか分からない」不安の原因になります。この心理と状況が実に良く描写されています。