STAP細胞論文事件:驚くべきいい加減な大学院教育環境

Nature論文:共著者たちは自分も貢献しているはずの論文を読みもしていない?

 今回の事件をみていると、このような疑念が生まれます。

 「引用元とNature論文を比べるとethylenediaminetetraacetic acidの略であるEDTAをEDTA(EDTA)と連続させたり、KClをKC1と無意味な言葉に変換しています。機械的方法でコピペしたからでしょうか?なぜこのようなことが起きたのかは不明です。」

 -- http://blog.goo.ne.jp/lemon-stoism/e/008ac025ee1ccf4c694869f09b053ee7

 このような外形的あるいは、形式的な誤りは一読すれば簡単にみつかるものです。これはおかしい、どう考えても、キーボードのタッチミスで起きる単純ミスではない。「EDTA(EDTA)」とは、「EDTA」の頭文字語として「EDTA」を使うという意味ですが、意味をなさない。KClが塩化カリウムである事を知らないなどということはあり得ない。なぜ、KCなどということが起きたのか?という疑念が共著者方にはおきなかったのでしょうか。こういう点を、内容は理解できない(共著者が?!)としても、指摘し、納得のいく説明を聞き進めれば、今回の不祥事は防げたはずなのです。

 

早稲田大学博士論文:審査員は何をしていたのか?

 博士課程の学生というものは指導教員にとっては掌中の珠のようなもので、マンツーマンの指導をするものです。それをしていれば、自分の学生のレベルは完全に把握でき、何をしているか分からないなどということは起こりえません。まして、どこかからコピペという名の盗用行為をしていれば、「これ、君の文章?」と直ぐに気づくものです。早稲田ではそのような博士課程学生育成体制になっていないのでしょうか?

「博士論文審査報告書によると、この不正で溢れた博士論文を通した早稲田大学の審査員は、

常田聡 早稲田大学教授  

武岡真司 早稲田大学教授  

大和雅之 東京女子医科大学教授  

Charles A. Vacanti (チャールズ・A・ヴァカンティ) ハーバード大学教授  の4人です。」

 -- http://stapcells.blogspot.jp/2014/02/blog-post_2064.html

 彼らが何を審査していたかはまったく不明です。論文の体をなしていないことにも気が付かなかったということから考えると、彼等は読んでもいないと推測されます。

 更に、このブログの投稿欄には驚くべき投稿がなされています。

「匿名2014年3月11日 6:36

Backgroundがにてるのはそんなに大した問題じゃないだろ

 

匿名2014年3月11日 15:19

backgroundに類似点が多いのは、大した話じゃない。先駆者の研究結果をベースに、自分の独自の研究結果を加えるというのは、よくあること。というか、サイエンスというのものはそういう業績が詰みあがったもの。だから、先駆者の論文と似るのは、むしろ当然。実際、学位論文審査なんて、backgroundを精査する所なんてあるはずないし、それは何の問題でもない。」

 驚くべきことは、こういう考えを持っている、恐らくは三流大学の研究者もどきの人間が現に存在しているということです。これは第二、第三の小保方事件を起こす下地がこのような大学には十分に育ってしまっているということを意味しています。「はかせ」ならぬ「ばかせ」があちこちに跋扈しているのです。「2014-02-14 今時の大学生の頭の程度」にも書きましたが、こういう人は頭の程度も相当に低レベルですが、その一環として「想像力」が不足しているので、論文の一部を盗用した結果、何が起きるかを想像もできていないのです。他人の文章の盗用コピペ公開が犯罪であるという意識もないのでしょう。

 先駆者の業績の解説をするにしても、当然、自分の理念が背景にあり、自分の解釈を踏まえ、自分の言葉でそれを述べねばなりません。そんな事もできない、いや、その前に、恐るべきことに、知らない人間が恐らくどこかの大学院に在籍しているということは、文科省がむやみに大学院を質を問わず量的緩和で拡大し、定員を満たさなければ補助金をカットするという政策をした結果、補助金が欲しい大学院が誰かれなく入学させてしまい、学生の劣化が想像以上に進んでいるということでしょう。「ばかせ」という言葉ができている所以です。

 サイエンスの本質が何であるかも理解できておらず、審査員が読むはずもないので、ばれなければ何をしてもよいなどと考えているこのような人たちは、教育以前の資質の問題としてそもそも大学院に進学すべきではなかったのです。

 同じ投稿欄に下記の投稿があります。

「匿名2014年3月12日 12:05

私の教官は、論文のチェックをする上で、引用文献と引用文献が論文で果たしている役割からチェックなされます。

そこがいい加減だと「これは論文ではない。ただのメモだ。論文を持ってこい」って言われます。」

 -- http://stapcells.blogspot.jp/2014/02/blog-post_2064.html

 こういう教員が本物の教師であり、本物の研究者なのです。なお、現在では国立大学は独立法人化され、そこに働く人は「官」ではなく「民」になってしまったので、私立同様「教官」ではなく、「教員」です。

 小保方博士論文の審査員は上記ブログによると、下記の方々です;

 常田聡 早稲田大学教授 : http://www.waseda.jp/sem-tsuneda/japanese/index.html

 武岡真司 早稲田大学教授 : http://www.takeoka.biomed.sci.waseda.ac.jp/

 大和雅之 東京女子医科大学教授: http://twins.twmu.ac.jp/gcoe/84.html

 Charles A. Vacanti ハーバード大学教授:

  http://connects.catalyst.harvard.edu/Profiles/display/Person/66461

 今の博士呼称は、大学名を付すことになっていますので、「早稲田大学博士」です。この博士号は、あまり信用できない博士号であると世界中に知られることになったわけです。

 参考ブログ 

早稲田大学の理工系におけるコピペ文化について

http://anond.hatelabo.jp/20140314233406

 ◎早稲田で博士号をとった私の感じていること

http://anond.hatelabo.jp/keyword/%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E5%A4%A7%E5%AD%A6

 学部と大学院の組織用語が区別されていないのですが、大学院の矜持が薄れているかなと感じます。学部「学生」を「生徒」と呼ぶのと同じように。以下、数字は対応を示します。

 ①学部 ②学科 ③卒業

 ①研究科(最近は、研究院などの名も現れています)、②専攻、③修了

◎子を殴ってでも博士課程には行かせるな:

http://anond.hatelabo.jp/20090515012259

◎博士課程の方々、あなた達は国や社会に見捨てられた民「棄民」です:

http://blogos.com/article/73694/

 棄民というより、自らの意志によるモラトリアムでの進学と言った方が良いでしょう。高校で就職できなかったので、大学に進学するとおなじノリです。勿論、偏差値80以上のような秀才は別の話で、科学の発展のために是非、進学して頂きたい。

 さて、企業の現場を知らない人は、こういう正論を机上の空論で批判しますので、少し、補足しておきましょう。企業は「課程博士」は必要としていないのです。ストレートで博士課程を修了しても既に28歳になっています。そのまま同じ研究を進めるのなら、別に年齢は問題ありませんが、この歳で今までのキャリアを捨て、異なるテーマを始めるには、既にロートルと言って良いでしょう。よほどの天才、秀才は例外ですが。

 その上、自分の専門はxxで、これ以外にはできませんというのが博士の言い分になります。しかし、企業ではどこに配属されるかわかりません。関連研究テーマがあったとしても、景気により廃止されて別部署に配属されることも普通にあります。たまたま、「基礎」研究所があり、関連する研究をやっている部署があれば、そこに配属させることも考えられますが、企業の研究はチームワークなので、通常、修士課程を修了してその企業において先輩に訓練された研究者で既に粛々と研究が進んでいます。そこに異物が入ったような感じで入っても学生時代にやっていた研究とピッタリとテーマが合うはずもないし、リーダにもなれません。更に言えば、日本の博士は、STAP細胞事件でみるように、十分に訓練されていないので、欧米の博士のようにプロ意識もありません。一般論ですよ。企業はそれを知っているので特殊な場合を除いて博士は雇いません。関連省庁が煩いので総論賛成、門戸開放しているふりをすることがあっても、自分の部署に採用するかと言えば各論反対で要らないというのです。