ギリシャ人の不思議な発想

 読売夕刊の見出しが面白いのです:

ギリシャ緊縮「反対」

 国民投票 大差

  首相、EUに減免要求へ」

 一般家庭で言えば、サラ金から大金を借りて贅沢三昧の暮らしをしていた。サラ金が返せと煩い。それで家族会議を開いたら、贅沢三昧の生活を耐乏生活に変えるなどは思いもよらないので、返さないことにした。従って、借金は無かったことにしてくれとサラ金に要求することにした。

 どう考えてもおかしな論理ですが、南欧的テキトーな発想ではあり得るのです。そんな国に大金を貸したEUが悪いとも言えます。以前に紹介した「オイル クラッシュ」から、南欧イタリアが1970年代にどうしていたかの、ノンフィクション的フィクションからの描写を引いてみましょう:


「オイルクラッシュ」P.アードマン 新潮文庫

「機を見るに敏なヨーロッパの銀行家たちが一人また一人と、同じ単純な疑問を胸に抱きはじめたのである。『イタリアはどうやってこれだけのローンを返済するつもりだろう?
誰も答えを知らなかった。樽の栓は閉じられた。・・・

『しばらくは共同市場にイタリアの面倒を見てもらおう』というのが彼らの態度だった。・・・そして共同市場が腰を上げた。共同市場といっても、実際には西ドイツ政府そのものであった。ドイツはイタリアが必要とする数十億ドルを何年か用立てた。無条件で貸したわけではない。ドイツ人は世界一慎重なしまり屋である。ドイツは確実な担保を要求した。はじめは、イタリアの金準備の一部を、そしてのちにはその全部を要求したのである。イタリアはそれでもなお生き延びるためには現金を必要としていた。石油を買い、小麦を買い、ウィスキーを買わなくてはならなかったのだ
・・・
イタリアにとって必要なのは、ただ二十億ドルばかりの金である。それがなければイタリアは1979年に必要とする食糧をアメリカやヨーロッパから、それに石油をアラブ諸国から買う事ができないし、もうこれ以上、現在継続中のユーロダラー・ローンの金利を払うわけにはいかない。払いたくても払えない。ローンは総計160億ドルである。そして、彼は最後に言った。イタリアは1960年代に導入し、不幸にして1979年に返済期限を迎えようとしているコマーシャル・ローン、約26億ドルの返済などは思いも寄らない

『しかし』ベルンの財務省代表が口を挟んだ。『今あなたはいとも気楽に20億ドルと言われましたが、それではすまないのではありませんか。それでは焼石に水ではありませんか』
 スイス人は頭の回転が速い。自分の金が危ないとなるとすかさず算盤をはじくのだ。
 ・・・
もしイタリアが残るローン、140億ドルの金利をいっさい払わないとなると、・・・銀行の準備金、資本、その他いくばくかの金が露と消えてしまうのだ。チェースとナショナル・シティはたぶん生き延びるだろう。しかし、傷は深い。ロンドンは大混乱に陥るだろう。破産が相つぎ、訴訟沙汰が持ち上がる。階級闘争が起こり、銀行家は杜撰な経営を指弾され、詐欺師と呼ばれるだろう。なんということだ!どじなイタリア人どものおかげで永遠の破滅に追いやられてしまうとは

 カナダ人の一人がふいに室内を襲った沈黙を破った。『しかし』イタリア蔵相に向かって彼は言った。『あなたの国の政府は、ローンを返済する道義的な責任があります』
 このナイーヴな発言に一瞬きょとんとしてからイタリア政府のスポークスマンは言った。『どうやってです?』

 まったく、どうやって返済することができたろう。イタリアにはドルも金もない。ドイツがヴェニスを取り、スイスがフィレンツェを、そしてアメリカがシチリアを取ってもいいかもしれない。しかし、誰がナポリを欲しがるだろう。」pp.44-46

 なかなか示唆的な描写です。30年ほど前の出来事なのですが、イタリアがギリシャに変わっただけで、同じ事を懲りずにやっているのですね。共同市場は今はEUに発展的に変わっていますね。