超能力とマジック

 福山雅治主演の「ガリレオ」が再放送されています。京都大学の構内を使ったり、主人公を湯川秀樹博士を思わせる湯川准教授としたり、典型的理系の物語です。#2は「離脱る」という幽体離脱の物語。勿論、少年のインチキです。

 問題は、こういうインチキの超能力を本気で信じている人が居ることです。知能の高さとは関係なく、です。元東大大学院医学系研究科教授の養老猛司氏は定年前に東大を退職した理由として、自分の学生--この時代では理3の偏差値は80を越えています--にオーム信者か、それを信ずる者がいて、麻原は息をすることなく1時間--正確な時間は忘れましたが、とにかく人間には不可能な長時間--水の中に居られると信じる者がいた。物理学を理解しているのにですよ。これはダメだと思いましたと言われていました。退職した別の理由も聞いていますが、これも一因だったのでしょう。

 Dr.Yの友人達の中にも、何人かこのような人々がいます。勿論、彼らは日常そんなことを言えば科学者としての資質を疑われることを知っているのでそぶりも見せません。Dr.Yが友人だから、そんな話もするのです。超常現象に憧れる気持ちはDr.Yにもあります。恐らく誰にもあるのではないでしょうか。Ninjaが世界的に有名になっているのは、その一つの現れではないでしょうか。その中に、超能力を信じる脳を作るDNAを持っている人々が相当数いるのです。これは一種の本能だと思われます。つまり、生まれたての哺乳類の赤ちゃんが、母親の乳首を求め、その存在を知り、その位置を知り、目も見えないうちからそこに這って行って、乳首を吸い。ミルクを飲むという行為と同じです。そのような事は脳内に生まれつきプログラムされています。本能と言います。

 そのような超常現象に対する信仰が、なぜ脳に本能として組み込まれているのか?それは分かりませんが、彼らにあっては、先天的な本能が後天的に獲得した科学の知識に優先するのです。多分、養老さんはこの事に気づかれていないと思います。Dr.Yは複数の人々を身近に知っていたので、このように悟ったわけです。

 ところで、これまで、超能力者による超常現象と言われていたものは、科学の最低限の条件である、再現性と普遍性の両方あるいは片方を欠いています。したがって、それらはすべてマジックで実現できます。つまり、そんな程度でも超能力を持つと言えるのなら、Dr.Yは超能力を持っています。超能力を持つと称する詐欺者を暴くにはマジックに通じている一流の科学者が必要で、ノーベル賞を取ったという科学者でもマジックの原理と種を知らなければ暴くことはできません。たとえば、透視能力があると称する偽超能力者がESPカードを当てる確率が無作為な場合に比べて少し高いなどという、一見、統計学的に有意性を立証しているようなものも、マジックを知らない科学者なら統計学と言う数学的衣を着せられているので、却ってコロリと騙されてしまうようです。ESPカードを使うのなら、本人が持ち込んだものではだめで、任意のものを使ってこそ普遍性を担保できるのですが、そんなことは偽超能力者は決してしません。そもそも、なぜ、ESPカード?本当に透視能力があれば、どんなカードでも良いでしょう。

 マジックには再現性を欠くものが沢山あります。心理的盲点をついて行うものは、同じ場所で同じ人々を相手にしては二度とできません。タネがばれる危険があるからです。つまり再現性がありません。どこで何が行われるか、無限の可能性の中にあっては人間の注意力は無防備になります。マジックのタネを暴く方法で人口に膾炙しているものに、術者に右手に注意を集中するように誘導されるときには、左手に気を付けろというものがあります。勿論、プロの行うマジックはそんな単純なものではありませんが、マジックの極意を良く言い表しています。同じマジックを二度行うのなら、どこに注意を集中すべきかが絞られるので、ネタバレが起きる可能性が高くなります。再現性を欠く理由です。

 ところが、再現性をもつマジックもいくらでもあります。道具を使うものです。Dr.Yはラスベガス--大規模なマジックショーが行われています--でいくつかそのような道具を買って持っています。これにはほぼ絶対にタネが分からないなという物があります。100円ショップでもマジックの道具が売られていますが、それらは調べれば分かってしまいます。しかし、どこをどう見ても分からないものがあるのです。教えられて初めて分かるというものです。よくも、そんなことを考え付いたと思うくらい精巧で巧妙なものです。

 そのような道具を使われては、純粋無垢な科学者などには絶対にタネは分かりません。コロリと騙されてしまいます。再現性があるマジックは、普遍性を欠きます。何か道具を使うとして、カードでもなんでも良いのですが、マジッシャンが持ち込んだものではなく、第三者--これもグルの可能性があります--あるいは、疑っている科学者が持ち込んだ同種の道具でそれができるかといえば、それはできず、普遍性を欠くのです。当たり前ですが、タネが仕込まれていない道具ではできないからです。別の同種の道具を出され、じゃあ、これでやってくれと言われた場合、偽超能力者は色々な言い訳をします。言ってみれば偽宗教者の言い訳と類似なものです。
 「神を信じれば、1億円の宝くじさえあたると言ったじゃないですか」
 「当たらなかったのは、貴方の信心が足りないからです」
こんなものでしょう。

 科学者にして超能力を信じるDNAが組み込まれている人々に共通していることは、超能力の存在が偽であることを露わにされることを嫌う心理です。Dr.Yは友人たちに、自分の「超能力」を見せつけます。彼らはいくら考えてもそのタネを見つけられません。それで、この本を読めば、タネは分かるよと言ってマジックの本を貸すのですが、彼らに共通する行動は、決してそれを読もうとはしないことです。恐らく、後天的な知識として理解している超能力の不存在の現状と、先天的な本能としての存在を信じる気持ちの間に葛藤があるのでしょう。

 Dr.Yは超能力と言われているものの中には、まだ科学が解明できていない宇宙の力学があるのかもしれないとは、思っています。

 証明なくして何物をも容認せず
 アプリオリに何物をも否定せず
  --宮城音弥

しかし、それを、未だに再現性と普遍性を満足して見たことはありません。

 

 通常の人間の能力としては信じられない能力の一例としてサヴァン症候群の人がもつ記憶力があります。
「イギリスの医師ジョン・ランドン・ダウン(英語: John Langdon Down)は1887年、膨大な量の書籍を一回読んだだけですべて記憶し、さらにそれをすべて逆から読み上げるという、常軌を逸した記憶力を持った男性を報告した。その天才的な能力を持つにもかかわらず、通常の学習能力は普通である彼を「idiot savant」(イディオ・サヴァン=賢い白痴【仏語】)と名付けた。」
-- wiki

 

 この記憶は有機的に処理されて創造力を作り出すようには働かず、単にコピーマシンが文書をコピーしても書かれている事を理解していないと同じようなものということです。カメラのような記憶力です。

 

 寄生、共生、擬態など、どうして、木の葉に擬態している虫は葉っぱの存在や形や色を知っているのでしょう。植物の葉を作る遺伝子を遠い先祖から受け継いだり、樹木に葉の遺伝子ができたと同じ突然変異でできたとしても、虫食いの穴まで再現しているのは不思議です。獲得形質は遺伝しないのですから、虫食いの穴はDNAには反映されていないはずですが・・・獲得形質もDNAに反映する生物がかつては居た?

 

 そんな事より、もっと身近な問題として男と女がいることだって不思議です。それらの体がどのようなメカニズムで相補的にできあがっているのか??男と女のメタな存在として神が居て両方を作ったのならわかりますが、自律的に互いの体の構造を知って自分の体をそのように作った、などは信じられません。と言って、科学は神様の手を煩わせないためにあるのですから、解明しないといけないのですが・・・ヤレヤレ難問です。あぶらむしの話がヒントになるかもしれません。

 科学は神様の手を煩わせないためにある:Webの上ではホーキングが言った事になっているのですね。これは遥か昔、ライブニッツの言葉だと思うのですが、今、文献が出てきません。

「科学は神の手数を省くためにある」だったか?同じ意味ですが。

「全知・全能なる神の所産である自然は、神の介入による手直しを一切必要としない」と考えるライプニッツ」とも。--wiki

 

 そんなこともあり、超能力をアプリオリには否定していない、しかし、証明なくしては信じもしていないDr.Yなのです。

 

追記: 柴咲コウ演ずる女刑事は典型的な凡人として描かれています。99%の人はああじゃないかと思います。

 湯川学は、東大や京大、東工大、その他の旧帝大の理系に普通に居る人です。といいますか、ああでなくては理系は勤まらないでしょう。凡人からみればアスペルガー様(よう:like)です。

 とぼけた助手がいますが、彼は典型的な非理系。理系不適応者として描かれています。実際にはああいう人は上に挙げた旧来の大学には存在しません。普通はその大学の大学院から助手に採用されるからです。