企業の定年と昇進の書かれない内幕について

 先日、ふとした事で知ったのですが、1970年代一杯までは定年は55歳であったとか。それで、今も55歳で「役職定年」という変な制度があることに納得がいきました。恐らく定年を60歳に延ばした時、企業に負担にならないよう、年俸を下げる為の施策だったのでしょう。役職定年というのは、無役にするだけではなく、嘱託のような非正規社員にし、年俸を、6~7割りまで落とす仕掛けなんですね。

 政府は、今、年金の給付を65歳にしているので、65歳まで雇用するよう企業に要請しています。ということは、60歳以上は、更に厳しい雇用条件になるのでしょうね。

 ついでですが、大企業では、入社すると資格が与えられます。主事x級みたいなものです。これが、定期的にあがっていきます。ある資格になると、主任とか、係長になる資格となります。主任、課長、部長、事業部長などを役職といいます。その役職に就ける資格は何と、企業によりきめられています。朝廷の従三位下という資格と、中納言という役職との関係に似ています。

 ある資格に行き着くと課長になれる資格ということになりますが、その資格になったからと言って必ず課長になれるわけではありません。それはそうでしょう。役職はピラミッドになっていて、同期は毎年同じ採用人数ならほぼ直方体です。ですから、「課長席」とか、「課長代理」とか、「担当課長」とかの変な名称だけは与えるのです。

 ある資格で足踏みし、決められた年数以内に上の資格に上がらないと、定年までその資格のままになります。大体、課長に上がるあたりの30代半ばの年齢が危ないですね。企業にしてみれば、そんなところで足踏みになっている無能者を以後、上げる必要などない、ということでしょう。資格は年俸、退職金など、あらゆる支払いの基準ですから。

 ドライなものですが、出来星企業のセブン&アイなどと違ってオーナなど居ない老舗大企業では会長・社長以下全員同じ運命にあるわけで表面上は平等です。とはいえ、見えない「」は人の居る所には厳然としてあるのでもう運命としか言いようがありませんけどね。こんな運用は人事規定とか、服務規程とか、なんでしょう、組合との申し合わせとか、どこにも明文化されているわけではないので、その本人は自分の運命を知らされないという点が問題かとも思えますが、だからと言って、上司に「君は定年まで25年間今の資格・役職のままだ。まあ、万年主任だな」と言われたら嬉しいかという問題もあります。余命x年の宣言みたいなものですから。

 世界に冠たる米国企業の知人に聞いた話ですが、「うちなんか、ある日、出社すると段ボールが3つ机の上に置いてあります。私物をそこに入れて出て行けということですよ。暴れるといけないので、ガードマンが後ろにいてオフィスを出て行くまで送り狼で付いて来ます」だとか。

 そもそも、ひとつの部署で1年に資格を上げられる人数は決められているので、もうその資格に4年も居るのに上がれないのなら、少ない持ち札を出来の悪い古株に使うなどという事は許されず、下から上がって来る優秀なのをどんどん上げていくので、何となく分かるでしょうけど。しかし、人間ですから、来年こそはと希望をもつかもしれませんが、それはあり得ないのが企業です。こんな内情は普通知らないでしょう。一度、見捨てられたら、敗者復活はありません。現場の直属上司は、どうしても情が出ますから、何とかしてやりたいと思っても、人事部が許さないのです。非情に徹することが、人事部長にとっては自分が昇進する条件なので。

 尤も、何をもって優秀とするのかは難しい問題です。コネの方が大きいでしょうね。セブン&アイの会長周辺がダメ人間だと分かっていても、イエスマンで占められていたのはこのためです。社外取締役がいなかったら、耄碌爺のやりたい放題になっていたはずです。一時、実績主義とかいう馬鹿な制度を馬鹿な人事が「実績」の何の尺度も決めずにあちこちの企業で始めたのですが、案の定、しばらくして止めました。言うまでもなく、セブン&アイのように、トップが自分の息子だということだけで役員にしてしまうよりは遥かにマシですが。一代でできた出来星新興企業というのはこんなものです。日本の企業は横並び意識が強いのでどこかがやると、すぐに真似をします。言いだしっぺの人事担当役員は責任を取るべきですが、社長もそういうことはしたくないので、何も言わず、その役員が定年で辞めていくのを見計らって穏便に制度も止めるというのが日本の企業です。