新型コロナウイルスに関してなぜ京大の学者の露出が大きいのか?

テレビを見ていて気が付いたのですが、中山先生や本庶先生のようなノーベル賞学者だけではなく、他の若手の先生達もどんどん物を言っています。ノーベル賞学者だから露出度が多いのだというのは、本末転倒した説明のようです。Dr.Yは医学の分野に強いわけではないので分からなかったのですが、友人が以前、こんな事を言っていたのを思い出しました。

 

  東大や慶大は臨床に強い。東大は、官に陰然とした力を持っているし、慶大などは医師会ーー民間の開業医の組合ーーを牛耳っている。京大は基礎医学に強い。ノーベル医学・生理学賞を3人も出している。

 

 今回のような正体の知れない新型ウイルスとの戦略的戦いでは、既知の病気を扱う臨床医学は武器にならずーー目の前の患者の戦術的治療にはこちらが役にたちますーー研究分野である基礎医学が物を言うからでしょう。

 

 つまり、基礎医学に強いからノーベル賞をとれて、かつ、新型コロナウィルスとの戦いで物を言えるのであって、ノーベル賞学者だから物を言うのではないのでしょう。

 

 このことは、客観的な理系ーー物理、化学、医学・生理学ーーノーベル賞の数でーー平和賞とか、文学賞のような、政治的、主観的なものは除きますーー京大が東大を圧倒しているのかを考えるよすがになりそうな気がします。なぜ、明治政府が東京帝国大学京都帝国大学を東西につくったのか?この役割分担を意識していたとすれば、明治の為政者は素晴らしく優れた感覚があったとしか言いようがありません。官僚を作る東大、学者を作る京大。

 機会があったら、考えてみたいテーマです。

 

なお、以上の話はあくまで大きな流れ、傾向、四捨五入した話です。「捨てた」四捨や、「入れた」五入をもって、それは違うという話にはなりません。

 

東大や京大と言っても、優れた人はほんの一部、上澄みだけです。パーミル程度しかいません。捨てた四捨は上澄み以外の大衆。