理解するとはどういう事か?

 Dr.の持論では理解のメカニズムには2種あると思うのです。

 何かを理解するとは、その何かの「構造」を頭脳の中に作り出すことです。パターンと言ってもよいでしょう。四角とか三角とか、四角の上に三角が載っているとか。あるいは、タータンチェックの模様もパターンです。

 ドーナツとコーヒカップは同じパターンですね。面倒な事を言えば、トポロジカルに同じものです。

 さて、そうすると、理解には次の2種類があります。

1.既に存在しているパターンの類型に当てはめる

2.新しいパターンを創造する

 1.は簡単な理解です。タータンチェックで言えば、線の色が違う、線の太さが違う、本数が違う、組み合わせが違う。でも、似ています。

 何か新しい概念を理解する時に、このように過去に理解したものから似たものを探し出し、新しい概念をそれに当てはめるのです。これは易しい理解です。学校の試験はすべてこの形態で行われますね。短時間の間に問題を理解し、それを解くのは、この形態以外では無理だからです。

 ですから、試験で良い点を取るのは簡単です。できるだけ多くの問題を解いてそれを暗記しておくだけです。これで、偏差値80以上になります。記憶力と(それだけの記憶をこなしたという)努力能力と記憶の中のパターンと目の前にある問題とを比較して類似の記憶を取り出す処理能力の速さは検査できます。しかし、創造性は検査できません。

 問題は過去に出会ったことのない概念のパターンを創造しなければならない場合です。数字の四則演算しか頭の中にない時に、代数に出会ったら、その概念のパターンを創造できるでしょうか?「鶴と亀合せて10匹います」と言う日本語を「x + y = 10」に翻訳するという概念を理解するにはかなりの努力を必要とします。「103」はなんとか理解できていても、「log 103 」を「3」とするlogという操作を理解する事に、多分、80%以上の人は挫折します。

 センター試験で物理と生物の得点差は21点強もあったとマスコミ報道されています。物理はこの2.型の理解が必要な典型ですが、試験ではそれを1.の型で問題を理解し数値などを変えた程度の過去問を思い出して解くことになります。それでも、多分、最初の2.型の理解が完全にはできておらず、その上、過去問も十分な量をこなしていないため、1.型の理解もできない状態になるのでしょうね。

 生物は概ね記憶に頼る1.型の理解ですみますので、多くの生徒はこちらを選んでしかも高得点になっているのでしょう。こういうと、生物の先生に叱られそうですが、現実はそうなのです。生命科学が新しい最先端の学問になった時、過去の複数の関連学問領域からこの新しい学問領域に研究者が流れ込んできました。伝統的生物学、化学、免疫学・・・どうも伝統的生物学出身者は厳密科学の方法を体得していないで、いい加減だという事を他の領域から入り込んだ研究者に聞いたことがあります。

 2.の型の理解ができる人は限定的ではないかと思われる節があります。大学である友人に会った時、こいつの頭はどうなっているんだろうと思った事があります。同じ本を読んでいて、新しい概念に出会ったとき、Dr.が理解できず新しい概念創造に四苦八苦しているのに、彼は一読でさっさと理解してしまって、「ああ、そうか」などと小癪な事を言うのです。頭の出来の差に愕然としたものでした。天才肌のモーツァルトと努力・秀才型のベートーヴェンの差みたいなものです。尤も、だからと言って天才の生産物>努力・秀才の生産物というわけでもなく、Dr.は軽快なモーツァルトより重厚なベートーヴェンの音楽の方が心に沁みて好きなのです。