日本語は曖昧?

 という言葉を時々耳にします。が、そういっている人も、実は何が曖昧なのか分かっていないのではないでしょうか。

人工知能・ロボットに言葉が使えない理由 - dr-yokohamanerのブログ

を書いていて、それを書いてみようと思って忘れていました。

profitもpriceも複数形になっていますので、日本語には訳出が難しい「どの企業であれ、一般的に」が含意されています。・・・冠詞や数の概念に薄い日本語では「言わなくても分かるでしょ」的な表現になります。」

と書きましたが、日本語では、冠詞、数、性、時制、様相、仮定法、格などが文法要素として発達していない事に起因する解釈の多様性、つまり、曖昧さですが、それは文脈で解釈しなさいということになるのです。英語でいえば、the、a、複数の概念で相当な曖昧性が解決されるのですが、日本語では文脈の中でしか解決できないことがあるのです。

 英語、フランス語でもドイツ語でもいいのですが、には、「私」は翻訳できないのです。「I」は一人称に主格が入ってしまっていて、一人称だけ分離できません。

 こんなことを書きだしたら読者は眠くなるので止めておきますが、日本語では印欧語族に比べて文法機能が発達しておらず、その分、意味、文脈などで限定をかけないと曖昧になることもあるということです。

 だからと言って日本語が曖昧であるとは言えません。文法で曖昧さを解決していないというだけの事で、意味や文脈を使い、それで足りなければ文法機能ではなく文で補強していくらでも明快な文章は書く事ができます。逆に印欧語では書けない曖昧な文学表現ができることもあるのです。