官僚の牛耳る委員会の様子:某国オリンピック組織委員会、エンブレム審査委員会の某日の状況

 

 今朝のテレ朝か?元高知県知事の橋本氏がキャスターを務めている番組で、マスゴミには珍しくも真っ当なゲストが出演していて、こんな意味の事を言っていました。

 私も官僚の主催する委員会に委員として呼ばれたことがあるのですが、席について配られた書類を見て驚きました。もう筋書きはできていて、私はアリバイ作りに利用されるだけなのだと思いました。

 この場合のアリバイとは、「官僚独裁で決めたのではない。有識者に集まってもらって意見を聞き、彼らの作る委員会の場で公明正大に決められたものである」という証拠作りの事です。実際には官僚独裁で決められているのです。

 純粋無垢の一般庶民は、腹黒く狡猾な東大卒の官僚のやっていることに直接かかわることはないので、彼らの仕業を公明正大な方法で決められたと思い込んでいるのではないでしょうか。

 某国のオリンピックエンブレムデザインが決められた情景がDr.Yには手に取るように見えています。こんな具合でしょう。

 審査委員長:事務総長、ちょっとご相談があるのですが。

 事務総長:ああ、審査委員長。お世話になります。どのような事でしょうか。

 審査委員長:エンブレムのデザインの事ですが、やみくもに公募しても良いものは出てこないと思います。審査員の意見も分かれて、かなり紛糾することが予想されます。(こんなものはブラフで、勿論、本音は自派閥に利権を取り込むためです)

 事務総長:それは困りましたね。そこをうまくスムースにやって頂けないでしょうか。(この時点では、言葉のままでしょう)

 審査委員長:そうなのです。まさにその事をご相談したいと思っているのです。私の知り合いに大変優秀なデザイナーがおります。何かあっても、煩いことはいわず、こちらのいう事は素直に聞いてくれると思います。彼に応募させますので、そのデザインで行くという事でどうでしょうか。(しめしめ、乗ってきたというところでしょうか)

 事務総長:それは結構ですが、あくまで公募という形を取らないと、すぐに官僚横暴、独裁だと騒ぐ庶民共がいますからねえ。マスコミ対策も必要ですし、毛ほども、我々が独裁的に決めたと思われてはまずいのです。

 審査委員長:そこは大丈夫です。そのものには、あくまで、公募に対する応募という形でエントリーさせます。審査委員会には私の息のかかったものを何人か入れておきます。勿論、彼らは、その応募者の知己でもあるので、彼を推薦することに否やはありません。そもそも、彼らは仲間内で利害関係が一致しているので、私が一票を頼むということではなく、ほのめかすだけで彼らが自発的に選んでくれるはずです。

 事務総長:なるほど、そういう事でしたら、自然に審査委員会という場を使って決まるということになりますね。審査委員は8人ですが、何人の票がとれそうですか。

 審査委員長:私を入れて4票です。のこりは4人ですが、そこは委員長として、それとなく、誘導するつもりでいますから、まだ数票は入ると読んでいます。残りの、数名の票はばらけるでしょうから、4:1:1:1:1とか、5:1:1:1程度になると思います。

 事務総長:なるほど、それなら、大差で決まったと言えますね(というわけで、原案がパクリだったので、普通なら失格にして2位を採用するところ、原案を修正させることにして、その言い訳が2位と大差なのです。何が何でも佐野氏にして利権を貪る構造を変えたくなかったのでしょう。ところが、展開案も、最終案もパクリとはさすがに事務総長も困ったことでしょう)。分かりました。それで行きましょう。あとは、こちらでサポートしますから宜しくお願いします。これで、面倒な事が一つ片付いて助かりました。

 

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  この後、パクリがばれて面倒な事が起こってきます。くだんのデザイナはパクリの常習犯だけではなく、虚言癖もあるようですが、彼が頑としてリエージュのパクリを認めないのは、認めてしまうと、審査委員長、組織委員会事務局長にも災禍が及ぶために、当然、普通に行われることですが、裏で自分のオリジナルだと言い張れ、この線は死守せよ、我々官僚機構がサポートする、と言い聞かされているのでしょう。

 ついでながら、マスコミでは「私は専門家でないので分からないのですが」というコメンテータが多かったと思います。量子力学の専門家とか、生命科学の専門家の話なら、庶民には分かりようもないでしょうが、所詮、デザインなのです。庶民のためのものですよ。それを評価するのに専門も糞もないでしょう。そのデザインが素敵だと評価するのは専門家ではなく庶民なのです。創作するには、多少の才能が必要で、創作の専門家というものはありえますが、その作品を評価するのは専門家ではなく1億の庶民なのです。こんな事が分かっていないコメンテータが山ほどいるのには驚かされます。

 更に言えば、美大を出ているからと言ってまともなデザインができるとは限りません。体育大の学生が箱根駅伝で毎年優勝しているか?OBが高い割合でオリンピックの選手になっているか?そんなことはないでしょう。美大を出たからと言ってそのままデザインの専門家などにはなれないのです。パクリで生きているデザイナがいくらでも居るという証が今回の事件でした。