ダイナブックはなぜ滅んだか?

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ダイナブック」という名に郷愁を感じるオールドITファンは多いだろう。

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東芝は1985年に世界初のラップトップ型パソコンを発売。89年には、世界初のノート型パソコン「ダイナブック」を発売した。「dynabook」という言葉は、1960年代にパソコンの概念を提唱した米のコンピューター技術者、アラン・ケイが作った未来のコンピューターの概念。当時、誰も作れないと思っていたポータブルのパソコンを生み出した東芝は、90年代に世界のノートパソコンのシェア1位の常連となる礎を作った。本拠地は1967年設立の青梅事業所(東京都青梅市)。国内初の日本語ワープロを生み出した伝統部門だ。

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 最近、東芝の聖地「青梅事業所」を訪れたあるソフト会社幹部はこうつぶやいた。「かつて黄金時代のエンジニアだったのでしょうか。定年間近の従業員がドライバーを握って、パソコンなどを修理する補修拠点に変わっていました」」

 

 ダイナブックがポータブルという形で出現した時はショックでした。しかし、技術というものは、同業他社も見掛け上似たようなものをつくれますから、類似品が忽ち出てきます。特にPCは部品が規格化されていて、中枢部はインテルのハードにマイクロソフトのソフトでできていました。それでもダイナブックが世界シェア一位を保持できたのは、頭脳であるMPU以外に速度を律するチップがあり、出現したばかりのノートパソコンでは、この部分でメーカー各自が腕を発揮できる余地があり東芝はここでアドバンテージをとれていたからです。高速だったのです。

 しかし、そこでも儲かると踏んだインテルチップセットと呼ばれるそのICまで製造し始めたのです。MPUに接続するチップですので、頻繁にバージョンアップされるMPU情報が早めに必要で、そこをインテルに押さえられている東芝は独自チップの開発を断念してアドバンテージをうしなったわけです。

 そこで、スマホのような次世代商品の企画ができなかった経営の無能が今の東芝を作ったということです。