1980年からブームが始まり、1984年に完成した。
1971年に100人程度まで引き上げ,その後,さ らに120人まで上限が拡大された.この結果。 医学部の入学定員は1952年度を100とする指 数で見ると、1965年が126, 1970年が155 1975年が252,1980年が290と増加し, 1984 年に8,280人のピークを迎えることになった。 大学数が1.7倍,入学定員も3倍近く増加し,受 験生には一気に門戸が広がったことで、 「医学部ブーム」が起きた。
日本内科学会雑誌104巻12号 2491
1977年入試までの
2) 1期校・2期校時代の医学部入試
この時代には,現在のように理系の成績上位 者の多くが医学部志望者で占められるといった 状況ではなく,東大や京大といった旧帝大レベルの理工系学部志望者との間で棲み分けができ ていた。高度成長期の真っ只中であり, 地方か ら大都市へという志向は現在とは比較できない ほど強く,難関大を卒業すれば都市部の有力企 業への就職が約束されていた.それを越えて, 将来医師という厳しい職業に就こうとする受験 生は,それなりの覚悟をもって医学部にチャレンジしているといえる。
・・・
一般的に,地域枠等の入学枠は一般枠よりも合格ラインが低く,センター試験で7割程 度の得点率でも合格しているケースもある.受 験生の地元志向が強まっている中,将来にわ たって地元で継続可能な堅実な職業として医師 の人気が高いことに加えて, 地域枠等を上手く 使えば旧帝大の理工系学部よりも低いセンター 試験の得点で合格できることも地方での医学部人気に拍車をかけている.
日本内科学会雑誌 104巻12号 2493
・・・
http://www2.sundai.ac.jp/extreme_medical/pdf/medi_mag.pdf
「
異常な医学部ブームの罠…6年大学通った末に低収入&激務、儲けるのは困難
文=富家孝/医師、ラ・クイリマ代表取締役
」