日本という国がどうなっているのか?高校まででは、東京、名古屋、京都など東海道の大都市を知っているくらい。そこで、大学以来、長期休暇を利用して何周もしました。
記録は写真だけ。所が今はwebに色々な記録が有ります。それをお借りします。
急行利用
2018年現在の北海道のJR路線はここ↓にあります。Dr.Yが回っていた頃は鉄道最盛期。もっと多くの路線がありました。
実録「青春18きっぷ」で行けるJR北海道全線の旅:2日目《苫小牧から札幌へ》 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト
留萌本線だけは乗ったことがありません。
天売島のオロロン鳥を見に行きたかったのですが。。。
見どころ:サロベツ原野
稚内、利尻礼文島一帯は自然を愛でる所。それ以外、何もありません。それが最高。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/hokkaidou/meisai/exp-tenboku.htm
なぜ、天北線から始めたのか。北の果て稚内から日本を南下する訳ですが、「テンポク」という音の響き、天の北という文字が好きで堪らないからです。天塩から北見に繋がるという意味らしいです。
旭川から北上する宗谷本線は、音威子府オトイネップで天北線に分岐します。稚内から札幌まで「急行天北」で走った遥か昔。
http://www.nihonkai.com/railroad/soya/soya.jpg
稚内へ行く王道の路線です。
サロベツ原野 絵葉書です
日本最北端 稚内
鬼畜米英が可愛く見える悪鬼スターリンのソ連 の奇襲。不可侵条約破り。
氷雪の門
北の国土を守るレーダー
サロベツ原野 というより、サロベツ湿原の方がピッタリ。大阪市ほどもある面積。
樺太への船便のための港まで引かれていた鉄道駅を守った防波堤
間宮林蔵像 言わずと知れた。。。
上の記念館?に展示してあった写真
オホーツク海を望む寂しい町。
天北線より 天北原野 クッチャロ湖
学生時代二等客室は学生で満員。ほぼ全員、入口に置いてあるアルミ洗面器を抱えて船室の畳の上に寝転んでいました。波が荒く船が遅く、船首は家の2階くらいまで上がり、そして地下1階まで落ち込むので船酔いで上げてしまうからです。Dr.Yは絶対に船酔いしない体質。回りは寝転びゲーゲー言っていました。
この↓船は伊豆大島のフェリーですが、当時の2等船室はこんなものです。
ここにビッシリと毛布と洗面器を抱えて横たわる人の群れを想像してみて下さい。なかなか壮観な光景ですよ。
今は楽なもの。
利尻富士 グレートトラバースで田中さんが登った山。昔は利尻ユースが連れていってくれて登山。
【グレートトラバース ~日本百名山一筆書き~】
己の脚とカヤックのみを使い、百名山の頂き登る番組です。
挑戦するのはプロアドベンチャーレーサーの田中 陽希さん。
4月1日に屋久島の宮之浦岳からスタートしまして、
ゴールの利尻島の利尻岳まで総移動距離7,800km、累積標高10万mの長い道程です。
利尻港
利尻島 姫沼
姫沼展望台
ここ最果ての 利尻よ礼文🎵
君を尋ねて ♪ 姫沼かなし♬
我ら 島を愛して 旅をゆく🎶
礼文島 桃岩
桃岩たどる 君の手に♪
エーデルワイス 花開く♬
ここ最果ての 利尻よ礼文🎵
島を愛する / 島望とファンタジック東京 - YouTube
前回来た時には駅前と言わず、フェリーと言わず掛かっていたこの歌。20世紀末には駅前の土産物店のお姉さんさえ知らなかった。
利尻の土産物屋 レンタカーがあります。島一周して唯一あった「大きな」土産物店。
利尻から見た礼文島
札幌ー釧路・根室
石勝・根室本線経由で釧路
釧路駅 - 根室駅間には「花咲線」(はなさきせん)の愛称が付けられている。
花咲カニの故郷です。
帯広
帯広はそこそこ大きな都市なので市内に取り立てて見るものは無かったような。昔は有名でも無かった豚丼食べて富良野とか、幸福駅とかへ。。。
この辺りは真夏でも雨が降ると震え上がる寒さになります。長袖ジャケット必須ですが、晴れると暑い。
国鉄札幌駅
北海道大学 正門
北海道 議会 道議事堂 北2西6
案内、試飲つきツアー 無料でした。 Dr.Yはアルコール嫌いですので試飲はしていません。
釧路へ
阿寒湖の毬藻 展示館にて
阿寒湖
ペンケトー・パンケトー
阿寒湖ポロトコタン この頃、射影身長182cm,体重65Kg。
アイヌの村
知床
エゾ鹿
羅臼へ
納沙布岬 本土最東端
オホーツクへ
尾岱沼 オダイトウ 立ち枯れの木々
釧路ー網走
網走刑務所は街のメインストリートにありました。地番が付かない番外地ではないと思います。
現在はどこか奥に移っているようです。
佐呂間 サロマ湖近く
札幌ー旭川ー網走
札幌から網走は路線名としてはいくつかの路線を経由しますが、直行急行がありました。
↓
「1961年には線路名称の整理が行われ、網走本線として残っていた区間も池田駅 - 北見駅間が池北線、北見駅 - 網走駅間が石北線(新旭川 - 北見)とともに石北本線となり、網走本線の線名は消滅した。」
見どころ:小清水原生花園
池田町立十勝ワイン工場、博物館
池田町
大雪山系黒岳山頂
星の湖 然別湖
ラベンダーの丘で有名な、そして北海道のヘソと言う事でヘソ祭りでも有名なーーとはいえ、この旅の時期にはまだ無かったーー富良野
美瑛の丘 トロッコ列車
ラベンダー畑
愛の国から幸福へ のフレーズでブームに。
幸福駅↓
「「幸福駅」とは、北海道帯広市幸福町にある旧・国鉄・広尾線沿線内の駅名です。
1987年に広尾線は廃線され、それに伴い駅舎も廃駅される予定でしたが、駅名の縁起の良さ、また、幸福駅ブーム以降も観光客が訪れていることから、廃線後も観光地として存続することになり、人々に幸せを実感していただく『観光ポイント』として生まれ変わりました。」
函館ー札幌
函館ー室蘭ー千歳ー札幌
勿論、列車としては直行です。乗り換えなどしません。
函館ー長万部 は函館本線を走り、長万部で分岐して苫小牧へ向かう路線。
千歳線で札幌へ。
「すずらんとは、北海道旅客鉄道(JR北海道)が室蘭駅・東室蘭駅 - 札幌駅間を室蘭本線・千歳線・函館本線経由で運行する特別急行列車。」
9時pm頃青森発の青函連絡船で、2時am頃、函館に着くと、急行すずらんで札幌へ。7時amころ着。夏休みの学生を満載した青函連絡船。下船するとすずらんのホーム目掛けてダッシュです。遅れると札幌までの5時間立っていないといけません。山手線のように満員ですから。
「
青函航路と接続列車との間には最短でも20分程度の乗り換え時間が取られていたが、列車が青森駅や函館駅に到着した際、あるいは連絡船がそれぞれの桟橋に着岸した際には、目指す船や列車の席(自由席)を確保しようとする乗客でプラットホームや跨線橋がごった返す様子もみられ、荷物を抱えた乗客が競って駆け出すことから「桟橋マラソン」と呼ばれる光景を見せていた。ときには接続する連絡船が定員を超えて乗船できない「積み残し」が起こることもあった。
」ーー
★ 1975年夏 急行「すずらん2号」について : Rail・Artブログ
青函連絡船は5時間近くかかった時代
自力で接岸できず、小船に押して貰って接岸
JR函館駅
元函館区公民館
トラピスト修道院 函館
大沼公園 右に見えるは駒ケ岳
クマ牧場のチセ(アイヌの家)
登別温泉 地獄谷
白老ポロトコタン
函館ー長万部ー小樽ー札幌
こちらは上の函館本線。
函館ー様似ー襟裳岬
日高山脈の麓の牧場
襟裳岬 えりもユースホステル きちがいユースの別名も。旅立つ人を屋上から気狂いのように手を振って見送ることから。
襟裳岬の昆布漁 今もある。
津波で破壊され、修理する予算も無く廃線が決まった日高本線の地区。