日本という国がどうなっているのか?高校まででは、東京、名古屋、京都など東海道の大都市を知っているくらい。そこで、大学以来、長期休暇を利用して日本の全県庁所在地を中心に何周も周りました。
記録は写真だけ。所が今はwebに色々な記録が有ります。それをお借りします。
東海道とその周辺はDr.Yの庭先。どう切り取るか考えた末、他の地域のような中枢都市中心ではなく、所謂観光地、国立公園で切り取ろうかな、となりました。
東京など見てもしかたないというか、写真など撮って有りません。
東京・横浜・埼玉
東大正門
「今度卒業したのです」
「はあ、そりゃ」と言ったがおめでたいとも結構だともつけなかった。ただ「するとこれから大学へはいるのですね」といかにも平凡であるかのごとく聞いた。
三四郎はいささか物足りなかった。その代り、
「ええ」という二字で挨拶を片づけた。
「科は?」とまた聞かれる。
「一部です」
「法科ですか」
「いいえ文科です」
「はあ、そりゃ」とまた言った。三四郎はこのはあ、そりゃを聞くたびに妙になる。向こうが大いに偉いか、大いに人を踏み倒しているか、そうでなければ大学にまったく縁故も同情もない男に違いない。
「 三四郎」執筆当時、大学は、この東京帝国大学、京都帝国大学、そして前年に創立された東北帝国大学の三校しかなく、東京で「大学」と言えば、自動的に東京帝国大学を指します。学部ではなく、例えば、工学部は理科大学のように呼んでいました。旧帝国大学が、正式名称の学長を使わず総長と呼ぶのはこれがあるからか?
「1877年(明治10年)創立の東京大学が、1886年(明治19年)に帝国大学令に基づいて「帝国大学」(略称:帝大)に改称された。それから約10年は同校を指す名称であった。1897年(明治30年)に「京都帝国大学」が創立されると、従前の「帝国大学(旧東京大学)」は「東京帝国大学」に改称された。
初期の帝大は、大日本帝国最上位の国立高等教育機関(最高学府)および研究機関として設置された。各帝大は、複数の専攻科を擁する「分科大学」を包含し[† 1]、学際的な研究を理念とする「大学院」を設置した。」ーーwikipedia
赤門 加賀前田家江戸上屋敷跡
時計台の裏に回ると悲願の理系初のノーベル物理学賞。小柴先生の記念碑。
1987年2月23日、カミオカンデはこの仕組みによって、大マゼラン星雲でおきた超新星爆発 (SN 1987A) で生じたニュートリノを偶発的に世界で初めて検出した[2]。この功績により、2002年小柴昌俊東大特別栄誉教授は、ノーベル物理学賞を受賞した。
奥多摩・丹沢・大山・高尾
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横須賀
信州
越の新潟は南東北の方がしっくり来ます。