上流社会と下流社会: 舛添問題から

 どこから議論を始めたら良いのか迷っています。日本は多分人類が実現できる理想的な共産的社会なのでしょう。「下流社会」という社会学者の書いた本があります。そこには、「定職をもたずだらだら歩き、だらだら生きている」若者が描かれています。あるいは、「頭が悪く我が儘で我慢ができずにノースキル」な若者もあるブログであげられています。とりあえず、この極端な例は下流社会でしょう。

 では、日本に上流社会はあるのでしょうか。上の例の対極でしょうか。「定職をもち、キビキビ歩きキビキビ生きている」「頭が良くて理解力があって我慢強くてスキルがある若者」が上流社会と言えるでしょうか。多分、これらは必要条件ではあっても、十分条件ではないと大多数の人は感じるのではないでしょうか。

 では、足らない条件はなにか。とりあえず、よく言われるのは財産と家柄でしょう。

 財産。宝くじで億万長者になった人が上流かという問いです。宝くじ同様の幸運で、一代で事業に成功し膨大な財産をもっている人々はそこそこの人数います。衣料会社、IT企業、一杯飲み屋、と言えば皆さんの頭にすぐのぼる名前があるでしょう。実際には、億円程度なら目立たない小企業のオーナー社長がごそごそいるでしょう。

 こう考えると、財産は一つの条件でしょうが、ほとんどは所謂成金に過ぎず金儲けに地道をあげてその意味では成功したと言えても教養をつけている暇がなく下品を絵に描いたような人々が多く、とても十分な条件ではありません。必要条件ではあるでしょう。普通は、そう思う人が多いから、お金を持っていることをひけらかすのですから。

 家柄。これは曲者です。現在は法の下では皆平等です。ですから、先祖の話になります。近いところで、明治時代に華族というものが定められました。明治維新の功労者ーー閥によるただ乗り組も含めてーーでしょうが、明治維新は革命なので、華族の主流は江戸時代以前の下級武士、もっと下級の足軽、さらに下級の水飲み百姓にすぎません。では、徳川家は?これも三河の山奥、松平の庄に流れ着いた浪人の末裔ですし、豊臣に至ってはその出自を知らない人はいないでしょう。その前の室町政権の足利氏と彼の家来である室町大名と言っても、毛の国の土百姓上がりです。足利に滅ぼされた従兄弟の新田氏も同じです。ただ、遡ると清和天皇に行き着くようです。いわゆる清和源氏です。これ以前は、鎌倉政権も平氏政権も基本的に、本物の天皇の血を源としています。平安京を造った桓武天皇の子孫の桓武平氏以外の、天皇を源としている一族は「朕と源を同じうす」ということで源氏と呼ばれます。天皇家だけが上流の家柄のよすがとなるとしても、今さら、桓武平氏も各系統の源氏もどちらも忘れ去られています。じゃあ、天皇家は上流かと言えば、有史以前はともかく、今となれば、やんごとない事はほとんどの日本人にとっては異存ないことでしょう。余人をもって代えがたい唯一の家柄だからです。それ以外の家柄はすべて成り上がりで、淀みに浮かぶ泡沫のようにかつ消えかつ結ぶもので何の意味もありません。

 上流と人に思ってもらいたい人々は住居地によってその願いを叶えようとします。白金(でしたっけ)とか、田園調布とか、ちょっと下がって二子玉川に家を持とうとします。車もステータスシンボルとして、ドイツ車にするのでしょう。それも、そこそこ金があると主張しているだけの事に過ぎません。

 こう考えてくると、日本は米国以上に平等な国ではないかと思ってしまいます。舛添氏は、貧困家庭から東大に進み、助教授にまでなり、大臣を経験し、首都の知事にまで上り詰めたわけです。これで、品行方正に生きていれば十分に上流社会の一員と言えるのではないでしょうか。どうもここがポイントのような気がします。彼に品性を含めた教養が備わっていたら、十分に尊敬を受ける上流社会の一員と言えるでしょう。

 学歴:東大卒

 教養:十分にあるでしょう

 職歴:東大助教授、厚生労働大臣東京都知事

 財産:作れていないようですが、作れたハズです。

 品性:なし

 社会への貢献:なし。といいますか、帳消しでマイナス。

 

 残念ながら貧困の中で育ったからか、元々のDNAからか品性がありませんでした。

 教育、教養、品性、財産、社会への貢献 これが上流であるための必要十分条件のような気がします。言うまでもなく誰でも平等にそうなれる機会を与えられているのです。舛添氏もそうでした。野口英世もそうですね。素晴らしい共産主義的社会です。

  ところで、日本社会では明治の華族の系統から選挙地盤をもっている職業政治家の一部以外は、まともな政治家はいないように思えます。上に挙げた「頭が良くて・・・」のような人は大学を卒業してすぐに社会の収まるべき所に安定的におさまって、安定した暮らしをしているわけで、政治家のような不安定なヤクザ稼業になど乗り出す必要がありません。残っているのは、「頭が悪くて」のフリータばかりです。泣きわめいて世界に恥を晒した兵庫県議、不倫で辞職した京都の国会議員お手盛りで報酬を上げて市民の非難を受けている富山市議、視察に言って質問をする能力もないオリンピック視察団の東京都議などは氷山の一角でしょう。