赤穂浪士の季節

 今日の読売の編集手帳に面白い事が書いてありました。
「旧版の三省堂新明解国語辞典』には、なかなか”過激”な記述が少なくない。【必要悪】を引く◆<それ自体取り上げる時は悪と見なされるが、その社会(組織・当事者)の存続のためには必要な手段として行われるもの・・・>」

 

 赤穂浪士の季節です。この季節になると、いつも次の言葉を思い起こします。浅野家江戸家老が、この言葉を知っていたら、あるいは大石内蔵助江戸家老だったなら、はした金をせがむ吉良上野介にさっさと呉れてやり、浅野内匠頭は死なずにすんだものを、と。そして、家を取り潰されることもなく、家臣が露頭に迷うこともなかったのに、と。

 勿論、八百屋の娘の子である徳川綱吉が暗君であったことが最大の問題ではありましょう。面白い事に、綱吉を名君として再評価しようなどとしている人々がいます。今さら歴史などというものはあまりやることもなく、珍奇な事を言って人の耳をそばだてないと自分が評価されないと勘違いしている人々でしょうね。

 大行は細謹を顧みず(たいこうは さいきんを かえりみず)

ついでながら、こう↓続きます。
 大礼は小譲を辞せず(たいれいは しょうじょうを じせず)
史記

 小さきを忍ばざれば すなわち大謀を乱る

 (ちいさきをしのばざれば すなわちたいぼうをみだる)

論語

広告を非表示にする