仕組債: みずほ証券が3000万円賠償命令を東京地裁から受ける

 下記のような事件です。

  「仕組み債」と呼ばれるリスクの高い金融商品への投資を勧められて多額の損失を出したとして、東京都練馬区の80代女性が、販売したみずほ証券(東京都千代田区)などに約4340万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は17日、約3040万円の支払いを同社に命じた。青木晋裁判長は「高齢で認知症もあった女性に、高度の投資能力が要求される商品の勧誘をしたのは違法」と

 

」 -- 朝日新聞デジタル

 単純な株式とか国債とかではなく、色々な条件を仕組んであり、特に高齢者だけではなく、90%以上の普通の人には何が何だか分からなくしてある一種の債券を仕組債と呼びます。「仕組」というだけで怪しげですね。仕組債がどんなものかは、そんなものは組み込まないと謳っている野村証券のある債券のサイトに下のような記述があります。これでも、怪しげな感じが分かります。

私募により発行された有価証券(短期社債等を除きます。)および取得時において償還金等が不確定な仕組債等(注)への投資は行わないものとします。
(注)
償還金額が指数等に連動するもの、償還金額または金利が為替に連動するもの、金利長期金利に連動するもの、金利変動に対して逆相関するもの、レバレッジのかかっているもの等をいいます。
デリバティブ先物・オプションなど)は利用しません。
」--野村證券 | 野村MRF(マネー・リザーブ・ファンド)

 

 みずほ証券は、きちんと説明したと言っていますが、説明なんていくら聞いても金融に関係しない90%以上、いや99%の人にはわからないでしょう。

 それでは、実際に仕組債の広告の例、企業は架空の例ですが、本物にしてもおかしくない例をお見せしましょう。なお、みずほ証券の仕組債がこうかどうかは分かりません。変形は幾らでもあるからです。

f:id:dr-yokohamaner:20160619132006j:plain

 -- 「金融広告を読め」吉本佳生 光文社新書 ISBN4-334-03306-7

 

 何がリスクで、何がアドバンテージで、どんな物を自分は買う事になっているのか、これを一読して分かるでしょうか。分かりませんね。それが普通です。少し説明の冒頭部分を引用します。

f:id:dr-yokohamaner:20160619132325j:plain

 

 ーー同上から引用

 

ポイントは下記です:

 「他社株転換条項」満期日の1週間前に凹凸電気の株価が行使価格より安ければ満期日に債権の元本は返済されず、その安くなってしまった株券が返されるのです。

 

 わけがわからないのは〇X王国の国債でも貿易信用銀行の債券でもなく、全く無関係の凸凹電気の株を対象にしていることです。で、この債券を一口70万円で買うと、1年目は3.5%もの利子を受け取ることができますが、満期になった時に元本の70万円が帰って来るかどうかが問題です。凸凹電気の株価が700円より下がっていたら、その株券を返しますよということで、もし600円になっていたら60万円しか帰ってきません。70万円の3.5%は24500円です。2年目は10500円ですから、3万5千円の利子をもらい、10万円の損をしたわけです。凸凹電気の株が上がっていれば、問題はないのですけどね。こんな債券を買うなら素直に株を買っておいた方が良いと思うのですが。上記の計算は、流し読みで書いたので自信がありません。後で修正するかも知れません。というくらい、きちんと読み込まないと、どこにどんな仕掛けがしてあるかわからないのです。

 

 

 

 

 

上流社会と下流社会: 舛添問題から

 どこから議論を始めたら良いのか迷っています。日本は多分人類が実現できる理想的な共産的社会なのでしょう。「下流社会」という社会学者の書いた本があります。そこには、「定職をもたずだらだら歩き、だらだら生きている」若者が描かれています。あるいは、「頭が悪く我が儘で我慢ができずにノースキル」な若者もあるブログであげられています。とりあえず、この極端な例は下流社会でしょう。

 では、日本に上流社会はあるのでしょうか。上の例の対極でしょうか。「定職をもち、キビキビ歩きキビキビ生きている」「頭が良くて理解力があって我慢強くてスキルがある若者」が上流社会と言えるでしょうか。多分、これらは必要条件ではあっても、十分条件ではないと大多数の人は感じるのではないでしょうか。

 では、足らない条件はなにか。とりあえず、よく言われるのは財産と家柄でしょう。

 財産。宝くじで億万長者になった人が上流かという問いです。宝くじ同様の幸運で、一代で事業に成功し膨大な財産をもっている人々はそこそこの人数います。衣料会社、IT企業、一杯飲み屋、と言えば皆さんの頭にすぐのぼる名前があるでしょう。実際には、億円程度なら目立たない小企業のオーナー社長がごそごそいるでしょう。

 こう考えると、財産は一つの条件でしょうが、ほとんどは所謂成金に過ぎず金儲けに地道をあげてその意味では成功したと言えても教養をつけている暇がなく下品を絵に描いたような人々が多く、とても十分な条件ではありません。必要条件ではあるでしょう。普通は、そう思う人が多いから、お金を持っていることをひけらかすのですから。

 家柄。これは曲者です。現在は法の下では皆平等です。ですから、先祖の話になります。近いところで、明治時代に華族というものが定められました。明治維新の功労者ーー閥によるただ乗り組も含めてーーでしょうが、明治維新は革命なので、華族の主流は江戸時代以前の下級武士、もっと下級の足軽、さらに下級の水飲み百姓にすぎません。では、徳川家は?これも三河の山奥、松平の庄に流れ着いた浪人の末裔ですし、豊臣に至ってはその出自を知らない人はいないでしょう。その前の室町政権の足利氏と彼の家来である室町大名と言っても、毛の国の土百姓上がりです。足利に滅ぼされた従兄弟の新田氏も同じです。ただ、遡ると清和天皇に行き着くようです。いわゆる清和源氏です。これ以前は、鎌倉政権も平氏政権も基本的に、本物の天皇の血を源としています。平安京を造った桓武天皇の子孫の桓武平氏以外の、天皇を源としている一族は「朕と源を同じうす」ということで源氏と呼ばれます。天皇家だけが上流の家柄のよすがとなるとしても、今さら、桓武平氏も各系統の源氏もどちらも忘れ去られています。じゃあ、天皇家は上流かと言えば、有史以前はともかく、今となれば、やんごとない事はほとんどの日本人にとっては異存ないことでしょう。余人をもって代えがたい唯一の家柄だからです。それ以外の家柄はすべて成り上がりで、淀みに浮かぶ泡沫のようにかつ消えかつ結ぶもので何の意味もありません。

 上流と人に思ってもらいたい人々は住居地によってその願いを叶えようとします。白金(でしたっけ)とか、田園調布とか、ちょっと下がって二子玉川に家を持とうとします。車もステータスシンボルとして、ドイツ車にするのでしょう。それも、そこそこ金があると主張しているだけの事に過ぎません。

 こう考えてくると、日本は米国以上に平等な国ではないかと思ってしまいます。舛添氏は、貧困家庭から東大に進み、助教授にまでなり、大臣を経験し、首都の知事にまで上り詰めたわけです。これで、品行方正に生きていれば十分に上流社会の一員と言えるのではないでしょうか。どうもここがポイントのような気がします。彼に品性を含めた教養が備わっていたら、十分に尊敬を受ける上流社会の一員と言えるでしょう。

 学歴:東大卒

 教養:十分にあるでしょう

 職歴:東大助教授、厚生労働大臣東京都知事

 財産:作れていないようですが、作れたハズです。

 品性:なし

 社会への貢献:なし。といいますか、帳消しでマイナス。

 

 残念ながら貧困の中で育ったからか、元々のDNAからか品性がありませんでした。

 教育、教養、品性、財産、社会への貢献 これが上流であるための必要十分条件のような気がします。言うまでもなく誰でも平等にそうなれる機会を与えられているのです。舛添氏もそうでした。野口英世もそうですね。素晴らしい共産主義的社会です。

  ところで、日本社会では明治の華族の系統から選挙地盤をもっている職業政治家の一部以外は、まともな政治家はいないように思えます。上に挙げた「頭が良くて・・・」のような人は大学を卒業してすぐに社会の収まるべき所に安定的におさまって、安定した暮らしをしているわけで、政治家のような不安定なヤクザ稼業になど乗り出す必要がありません。残っているのは、「頭が悪くて」のフリータばかりです。泣きわめいて世界に恥を晒した兵庫県議、不倫で辞職した京都の国会議員お手盛りで報酬を上げて市民の非難を受けている富山市議、視察に言って質問をする能力もないオリンピック視察団の東京都議などは氷山の一角でしょう。

 

 

JTBが個人情報流出

 おどろきました。21世紀の今頃、メールの添付ファイルを開いてウィルス感染したのだそうです。原始時代の話かと思いました。企業においては添付ファイルはすべてウィルスだと思う必要があります。生のままの添付ファイルを社員に開かせてはいけません。CTOも置いていないのでしょうね。まともなコンピュータ管理部もない?CTOをおいていたら、社員に添付ファイルなど開かせないでしょう。幾らでも防ぐ方法はあるのですから、その一つでも実施しておくべきだったのです。

舛添、最後のブラフ

 集中審議の最後に舛添都知事は発言を要求し、ブラフを掛けましたね。「不信任案が出された時には、私が辞任するか、議会を解散するかを選ばなければならない」がそれです。

 bluffとは、訳しようがないのですが、見かけは丁寧であるが、実は脅迫というものです。ヤクザのやる手ですが、日常的にも使われます。何かを売る時、「残り、10点です」とか、「今から30分だけ5割引き」とかがそれです。普通の人は、これがブラフだと思っていませんが、「えっ、あと10点。急がなきゃ」「あと、10分しかない。急ごう」です。こういう心理に追い込むことをブラフと言います。

 「議会を解散」という言葉は議員にとっては嫌な言葉です。ブラフになります。

 それにしても、この人、人格を疑う人です。どこかのTV番組の画面でしょうか。引用しておきます。

f:id:dr-yokohamaner:20160614122858j:plain

 http://mikarin1215.com/seijika/7439/ から引用

 

 女性にこれだけ非道、不誠実、非人間的なことができる男が、都民に対して信頼できる男であるわけがないでしょう。セコイ、ケチが既に彼を形容して言われていますが、Dr.Yは、「小汚い」と感じています。薄汚いでもいいでしょう。彼のしたことは金額にしたら小さなものにすぎませんが、問題はそういうことではなく、一都のリーダとしてあまりに品格のない卑しい、小汚く、薄汚い、不潔さを感じる行為だということです。清廉潔癖に公務を行った諸葛亮孔明大久保利通の爪の垢でも煎じて飲ませたい人です。

 東大法学部を、我々の仲間は「あ・ほう学部」と呼んでいます。時々、こういう悪魔がでるのですね。

 

ハイブリッド車に対する誤解

 子猫が5匹も車のエンジンルームに入っていて救われたというニュースの解説で、どこかの自動車なんとか協会のような名前のいかにも自動車の専門家と思わせる所のコメントとして、ハイブリッド車は普段はバッテリーで動いている。急発進の時だけエンジンを使うので熱が上がらず助かったのではないかと言っていました。正確にはこの協会がそう言ったのかキャスタが協会の話をそう解釈したのかはわかりませんが、これは間違っています。PHVというものもありますが、最後で言及します。

 ほんのちょっと考えればすぐ分かると思うのですが、文系の人間というのは論理が分からないのですね。普段はバッテリーで動いている、そのバッテリーには誰が電気を供給しているのでしょうか???大問題ですよ。普通のハイブリッドは、エンジンで発電機を回してバッテリーを充電しているのです。だから、基本的にはエンジンは動きっぱなしです。下り坂では重力で落ちていけば良いのであまりエンジンは動かず、むしろブレーキでバッテリーが充電されます。下りが終わってバッテリー残量がある短い間だけバッテリーで動いているのです。あるいは、今の季節ならエアコンを使いますからこれを動かすためにはバッテリーだけでは電力が足らず、エンジンがほぼ動きっぱなしになり、結果、充電が良くできた時も、短い間バッテリー駆動になることもあります。

 エネルギー保存則という中学程度の知識があれば、どこからともなく来る電気でバッテリーが充電されるわけがない事が分かります。

 ということは、エンジンを動かしている時はガソリンで走っています。バッテリーへの充電もエンジンを動かして行っているのですから、これもガソリンで行っています。すべては、ガソリンエンジンで行っていることです。普段はバッテリーで走るなどということは永久機関と同じことになります。

 じゃあ、なぜ、ハイブリッドは燃費が良いのかという疑問が、論理が理解できる人なら、湧きます。車は加速と減速と定常走行運転から成り立っています。厳密には定常走行運転なんてできないですが、概ねのところとしておきます。加速するにはエンジンをふかさなくてはなりません。ガソリンを大量に使います。減速するにはどうするか?ブレーキを掛けます。この時、運動エネルギーはどこに行ってしまうのでしょう。通常のブレーキシューを使うブレーキでは、そこで摩擦熱に変換されて空気中に放散されてしまいます。長い下り坂でブレーキを掛け続けるとブレーキが焼き付き効かなくなるというのはこの熱のためです。つまり、ガソリンを燃やして得た運動エネルギーを運動に使うことなく熱にして自然に戻し、地球温暖化に一役買っているわけです。

 これはもったいない。せっかくの運動エネルギーを熱エネルギーにして雲散霧消してしまうのではなくなんとか回収できないかという問題に対する解答が、運動エネルギーを電気的に回収しようという回生制動という技術なのです。これは大昔から電車では使われていた技術で回生制動自体はローテクです。ブレーキを摩擦熱にするのではなく、ブレーキペダルを踏むと発電機が動いてバッテリーに充電するようにしたわけです。発電にはエネルギーを使うので(水力、火力、原子力を考えればわかりますね)、運動エネルギーが電気エネルギーに変換されのです。これをバッテリーに繋げば充電できるのです。坂道、信号などで加速と減速が繰り返されても、減速時にエネルギーを回収し次の加速に使うので燃費が良いのです。なお、巡航状態でも、道は凸凹ですし、曲がってもいます。つまり加速減速が常に行われています。非直線運動は加速度運動ですね。たとえば時速80Km固定で走るなんてできないので、この微妙な加速減速でも減速時の回収エネルギーを加速に回しています。

 急発進の時には、バッテリー残量があれば、これにモータの推進力も加えます。Priusでは、急発進の時には、1800ccのエンジンとモータを併せて2400ccレベルの推進力で発進すると書かれています。つまり、普段はバッテリーで動いていて、急発進の時だけエンジンを使うというのではなく、その正反対なのです

 なお、PHV型(Plug-in Hybrid)のハイブリッドでは、エンジンで発電機を回して充電する以外に、動いていない時は家庭用の100vからの充電もできます。それでも、バッテリーだけでは精々、20Kmか30Km程度しか走行できません。それ以上走りたければ、高価で重たいバッテリーを大量に積み込まなければなりません。EVがそうしていますが、エンジンを積んでいるHV車ではそんな無駄なことはしたくないので、ひとっ走り分だけのバッテリーにしているのです。通常のHV車は、当然、減速時だけのエネルギーを回収できれば良いので小さなバッテリーしか積んでいません。バッテリーメータを見ていると、残量はすぐにフルになり、直ぐになくなるのが分かります。バッテリーは走行のためではなく、エネルギー消費を平坦化するための目的ですから、これで良いのです。電気だけで走りたければ電気自動車か水素自動車Miraiを買うことです。

 

舛添都知事のノラリクラリ答弁の訳: egocentricity

 言っている事がすべて嘘なのですから、それを裏付ける証拠を自ら言えるわけがないのです。言えば嘘とばれる。言わないで凌げばばれずに済むかもしれない。この二者択一なら、誰が考えても、忘れた、相手があることなので言えないで凌ぐのが得策です。都民の思いもなにも念頭にありません。極めて自己中心的な性格でとても首長の器ではありません。

 そもそも既に凌げなくなっているのは明らかで与党まで見捨て始めたのです。となると、言えば嘘とばれて解任、言わなければ不信任案か百条委員会で解任へと、正に前門の虎、後門の狼状態です。

 お笑い芸人相手にバラエティ番組で無責任な事を喋っているのならこれですむかもしれませんし、大学なら一方的に喚いて逃げ出して済みましたが、議会や都民相手にそうはいかないでしょう。彼は大変自己中心的な性格らしく、そのことに気がつかないのでしょうね。

 しかし、言えば、政治資金規正法違反になるので、やはりノラリクラリで解任されるのを待つしかないのでしょう。