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NHKの話題から:哲学とは?

 哲学とは何でしょうか?

 哲学するとは、「何物かについて『考える事』」です。「善の研究」でも「いきの構造」(いきとは粋です)でも良いのです。「哲学」は「知恵を愛する」、「愛知」という意味ですが、この名前の県がありますね。英語で言えば「フィロソフィー」。ギリシャ語由来の言葉で「フィロ」は「愛する」、「ソフィー」は「知恵」と言う意味です。「上智大学」は英語では「ソフィア・ユニバーシティで」すが、この「ソフィア」も同じ意味で「智(知)」です。「上」は神を表わし、「上智」は「神の知恵」とでも言う意味でしょう。キリスト教系大学ですので。

 ということで、哲学は難しいことではないのですが、「哲」がいけません。こんな漢字は意味が分からないので、難しい学問の事だと思ってしまうのでしょう。これも「知恵」という意味です。

 「何物か」については、「善」でも「粋」でも良いのですが、「侘び」とか「寂び」について試してみてはいかがでしょう。案外、難しいものです。考え始めるよすががないのです。それで、学問になるのでしょうけど。

 一般人なら「人生」についてでしょう。「人生哲学」という表現があります。「あの人には哲学がある」などという意味は「基本となる考え方がある」「方針がしっかりしている」「原理・原則を持っている」という程度の意味でしょう。頑固者の、土佐のイゴッソウ、肥後のモッコスは哲学を持っているのかもしれません。

 哲学というと、カントの「純粋理性批判」などを読んで挫けた人は多いと思いますが、あんなものは分からなくて良いのです。分かった所で何の役にも立ちませんし。あまつさえ、現代科学の前では、100年以上前の哲学は無力なのです。重要なのは「哲学する心」つまり、「考える心」を持つことです。ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」あたりなら読みやすいので読んでみてはいかがでしょう。それがどうした、と言いたくはなりますが。学問としての哲学とはそんなものなのでしょう。

 昔の哲学者は、自然科学の原理--物理--を考えたり、考える事の原理--論理--を考えたりしていたので、一般人にはとっつき難いものだったのです。「ほら、このコップ。君はこれについて語ることができるんだ」と現象学の入門書には書いてありますが、Dr.Yなどは「それがどうしたの?」と問い返したくなります。

 自然科学が発達していなかった時期には、哲学は科学に対する指導原理の働きをしていました。「時間」とか「空間」とか「存在」とかについて哲学者は形而上学的に--つまりは、机上の空論的に--論じたものです。しかし、19世紀最後のクリスマスにマックス・プランクが量子力学の概念に実験的に辿り着きました。20世紀冒頭ではアインシュタイン相対性理論に辿り着きました。「考える」と言っても、人間の考えなど日常的経験的知識を土台にしているので、それを越える概念は実験なしには机上の空論でさえ考えることはできません。量子力学が生み出した様々な新発見はミクロの世界を研究した結果でしたし、相対性理論が生み出した結果は光速に近い高速の世界で起きる不可思議な現象でした。ミクロも光速も関係の無い日常世界の経験を土台にして考えても、空想しても、そんな概念は思いもよらないのです。哲学は無力になってしまったと言って良いでしょう。哲学の先生には叱られるかもしれませんが。
 しかし、量子力学相対性理論をもってしても、これで物理学は終わったわけではなく、宇宙の一端を垣間見たに過ぎません。これらの理論は今後も修正を受け続け、新理論が生まれていくことでしょう。

相対性理論量子力学--これらの理論に対して未来が保留している運命がどういうものだとしても、これらは雄大な思想的努力である --Loius de Broglie/ルイ・ド・ブロイ/機械と精神/」

 

2014-12-20 STAP細胞検証の理研の報告会と科学の方法:演繹推論、帰納推論、発想、背理法」で書いたことです。

 

 ということで、科学哲学は今は混迷の中にあるのではないでしょうか。人類は既に実験レベルで日常から離れてしまっているので、哲学で科学の将来など見出すことはできません。出来ることは、例えば、「通約不可能性」の概念のように、学問の整理程度ではないでしょうか。