三流の、つまり似非学者が最近は良くTVに出てきますが、さすがに三流の解説をしています。
「学術論文は、以前の成果を土台にしている。だから、デザインも他人の以前の作品を土台にしても良い。ただし、学術論文の場合、必ず土台にした論文を引用したと書かなければならない。その上で自分のオリジナルが必要だ」と。
ちょっと聞くと、尤もらしい解説に聞こえます。しかし、根本的に違っていることは、学術理論は、「進化」していくことです。原始人の脳 --ほとんどの人は自分の事と思って考えてみればよいのですが-- から、いきなり熱力学とか、エントロピーとか言う概念が出てきますか?量子力学とか、不確定性原理、相対性理論、光速度不変の原理など出てきますか?出てくるわけがないでしょう。
過去の土台の上で、これまで考えてもみなかった新しい概念が出てきて、学術論文として発表されているのです。勿論、「クズ論文」という言葉もあるように、そこから何ら新しい発見、発明に結びつかない論文も多数ありますが。
つまり、学術論文においては、土台を否定したり、進化させたりしてオリジナルが出ているのであって、土台をパクッて、似たものを作っているわけではないのです。従って、学術論文の構成は、「今まで、このように言われてきた。しかし、自分はこういう新事実を発見・発明した」という構成を取っていて、オリジナリティの「位置づけ」を読者に理解しやすくするために、土台を明確にしているのです。
ところが、今、デザインで問題になっているのは、自分のオリジナリティの位置づけのために、土台を使っているのではなく、土台のコンセプト=オリジナリティを、甚だしくは、その実現である表現=オリジナリティまでを盗用していることです。「斜めに傾けた水色の涼しげな『涼』」という文字の真ん中の「□」を「うちわ」にしたデザインがあります。この「うちわ」を「せんす」に変えることは、デザインの位置づけを行っているのではなく、コンセプトと表現の両方の盗用を行っているのです。
「
佐野氏作品「涼」のデザイン酷似…団扇を扇子に
東京五輪・パラリンピックの大会エンブレムをデザインしたアートディレクター・佐野研二郎氏が雑誌で発表し、扇子製造販売「京扇堂きょうせんどう」(京都市下京区)がホームページ(HP)に掲載している作品が、2012年に秋田県横手市で行われたイベントのチラシに似ている、との指摘が出ていることがわかった。」
www.yomiuri.co.jp から引用
まったく異なる現象を、いかにも類似しているように捉えている、そんな、本質を把握できない頭で、良く学者、大学教員を名乗っているなと感心しながら、ありがたく似非学者のご意見を拝聴しているこの頃です。