才能がなければ努力しても無駄か?

これは年齢によって違うでしょう。

子供 ・・・ 無駄ではありません。努力したという経験が重要です。
 しかし、残念な事に「努力する能力のない」子供は相当数います。後述します。

成人して社会で自立しなければならない人 ・・・ 無駄です。趣味でやることです。
 自立の最低限の条件は「食べていける」ことです。才能の無い事に儚い夢を追っていても仕方ないでしょう。トッチャン坊やという言葉がありますが、いい歳しても親の脛を齧って生活し、子供のままで精神の発達が追いつかない人です。自立する努力が必要ですね。

子供の努力に関して:
努力には
やりたいことをもつこと ・・・ そもそもこれを持つ事自体が困難
その事について達成目標をもつこと
が前提になります。

 「才能がない」とは、「何か」の才能であり、当然、既にやりたいことが決まっているということなので、目標を持ち、それに対して努力することができ、それは重要な事です。

 ところが、一定水準以下の子供には、「やりたいこと」がありません。ただ、無駄に日々を生きているだけなのです。「努力する能力がない」のです。まず、やりたい事を見つける努力が必要ですが、そもそも「努力する能力がない」のでそういう努力はできません。しないのではなく、できないのです。右手を失った人に、箸を右手で持てと強制できないことは分かるでしょ。才能は見えないので、努力ができる人は、つい、努力をしていないと思ってしまいますが、無い袖は振れないのです。

 下記の大学は恐らく偏差値35程度かと思いますが、このような大学もどきの学生はそんな状況でしょう。
 http://www.geocities.jp/ryannmaryu16/dqn.html
下記は学生に関する項目の抜粋です。
「**************************************************************
底辺DQN大の特徴。第二版 40項目
・理工系学科でも簡単な分数の計算ができない学生がいる。
・当然専門的な授業なんてできない。
・学生の1割は先天的精神薄弱者か、あるいは精神発達遅滞を
  引き起こす障害をもっている。
・3割程度の学生はヤンキー。
・1割程度の学生はヒッキー。
・授業中の私語、教室内徘徊、ケンカ、携帯電話使用、飲食がひどい。
・それを注意すると逆切れされる。
・さらに注意すると殴られて教員がケガをする。
・出席不足、レポート未提出、試験欠席、呼び出しても出頭しない。
・携帯に連絡したりアパート、実家に電話したりしてやっと出頭させても
  課題をやらない。しかし「単位くれ」とは言う。
・どうしようもないので不可にしたらお礼参りされたり、
  研究室に火をつけられたりする。
・試験もカンニングし放題。摘発したら他の教員全員に「見ないふりを
  するように」と諭される。
・学生が学内学外で犯罪を何度も起こす。
・実験機材、パソコン周辺機器などがどんどん学生に盗まれる。
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 やりたい事がないという事態は偏差値35の大学特有の事態でもありません。ほぼ全員がそうだという点が違うだけで、東大にも京大にも少しはいることでしょう。ただ、彼らはDNAが優良で何にでも適当な努力は、「努力する意識なし」にできてしまうので、問題になりにくいだけのことなのです。

 例えば、国語の本の1ページを5分で記憶して暗唱する競争なんていうことを子供の頃、授業でやらされたことがありますが、別になんの努力意識なしにスラスラと覚えられてしまう子供と、いくらやっても覚えられない子供がいるのです。このできない子供にもっと努力しろと言っても無駄なのです。そのような才能がそもそも無いので、強制するとウツになってしまうのです。努力しないのではなく、できないのです。努力できるというだけで素晴らしい才能なのです。

 さて、やりたいことがあれば、その事に関してどこまでやるかという達成目標を作れます。そして、そこから努力を始める事ができるのです。「才能」がなくても「目標」にむけて努力できます。目標が達成できないだけのことです。そもそも、どのような優秀な人間にとっても目標を完全に達成することは難しいことなので、子供にとって重要なことは「努力をしたという経験を持つ」、その過程なのであって、結果ではありません(大人は結果を要求されます)